東久邇宮内閣
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注釈^ a b 2021年10月に自由民主党総裁の岸田文雄が内閣総理大臣に就任し、組閣した第1次岸田内閣が38日で総辞職したため、内閣の在任記録はこちらが最短となった(ただし、同年の第49回衆議院議員総選挙執行後に召集された特別国会(第206回国会)に於いて岸田が再び首相に選出されている)。
^ 内閣総理大臣としての正式な表記は宮号を冠さない内閣総理大臣稔彦王(ないかくそうりだいじんなるひこおう)であり、官報にもそのように掲載された。当時の報道等では東久邇総理大臣宮(ひがしくにそうりだいじんのみや)、東久邇首相宮(ひがしくにしゅしょうのみや)と呼称された。
^ 戦争犯罪人の処理に対する連合国軍総司令部、閣内の対立により更迭。
^ 北支那方面軍司令官として満州に赴任していた下村が帰国するまでの5日間、総理が兼任していた。
^ 1945年(昭和20年)9月1日、総合計画局廃止。
^ a b 1945年(昭和20年)8月22日、前内閣の政務次官・参与官辞任。
出典^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和20年8月17日
^ a b 『官報』5608号「叙任及辞令」、昭和20年9月20日
^ a b 『官報』号外「叙任及辞令」、昭和20年8月18日
^ 『官報』第5584号「叙任及辞令」、昭和20年8月23日
^ a b 『官報』第5587号「叙任及辞令」、昭和20年8月27日
^ 須山幸雄「作戦の鬼 小畑敏四郎」358頁
^ 栗田直樹『緒方竹虎――情報組織の主宰者――』(吉川弘文館、1996年)154頁。
^ 佐々克明『病める巨象――朝日新聞私史――』(文藝春秋、1983年)。
^ 五百旗頭真「占領期」35頁
参考文献
秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
関連項目
1945年の政治
外部リンク
第43代 東久邇宮 稔彦王|歴代内閣(首相官邸ホームページ)
東久迩宮内閣成立 - NHK放送史
表
話
編
歴
日本国歴代内閣
鈴木貫太郎内閣東久邇宮内閣
1945年(昭和20年)8月17日
- 1945年(昭和20年)10月9日幣原内閣
伊藤1
黒田
(三條暫定)
山縣1
松方1
伊藤2
松方2
伊藤3
大隈1
山縣2
伊藤4
桂1
西園寺1
桂2
西園寺2
桂3
山本1
大隈2
寺内
原
高橋
加藤(友)
山本2
清浦
加藤(高)
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若槻2
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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