モルドバは民族的にはルーマニアに近く、南東ヨーロッパに分類される場合がある[2]。
エストニア
ラトビア
リトアニア
旧加盟国の中で、リトアニア・ラトヴィア・エストニアの3カ国はバルト三国と呼ばれ、北ヨーロッパにも含まれる国々[注 1]。
これらの国々は第一次世界大戦時のロシア帝国崩壊に伴って独立を果たし、政治的自治の自由を味わった。しかしまもなく、ドイツとソビエト連邦による密約・モロトフ=リッベントロップ協定に基づいてソビエト連邦の構成国となった。3カ国ともソビエト連邦崩壊の混乱のさなかに独立を回復し、その後NATOや欧州連合への加盟を果たしている。しかし、国内には全人口の数割に及ぶ多数のロシア系住民をかかえており、反ロシア的な民族主義者とロシア系住民の間で政治的・文化的な緊張が続いている。 現在は中欧または中東欧とも呼ばれる国々。 中世から近代にかけて、これらの国々は連合の王朝や連合国(ハンガリー・ボヘミア・ポーランド・リトアニア間)を作り、神聖ローマ帝国やオーストリア帝国などのゲルマン系の国々の一部であった。神聖ローマ帝国やオーストリア帝国末期からその崩壊後にかけては、帝国からの自由とスラヴ人同士の連帯を希求した汎スラヴ主義運動の中心地であった(それに反しポーランド・リトアニア共和国は多民族共存を唱えた)。両世界大戦においてはドイツとロシア帝国、ソビエト連邦の衝突の地となり、戦後はソ連型社会主義の東側諸国としてソビエト連邦の衛星国となった。冷戦終結後は西側諸国と政治的連携をし、NATOや欧州連合への加盟をした。なお、ハンガリー以外はスラヴ系民族が多数を占める国家でもある。この点は同じ「中欧」でもゲルマン系民族を多数とするドイツ・オーストリア・スイスとは異なる。 現在、外務省で中央ヨーロッパを管轄しているのは「欧州局中・東欧課」である(ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、北マケドニア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ギリシャ、キプロス、セルビア、モンテネグロ、コソボ、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバがこの課の管轄)。 バルカン半島諸国や東南ヨーロッパと呼ばれる国々。 アナトリア半島が国土の大半を占めるが、以下の国を含む場合もある。 これらの国や地域の多くは東ローマ帝国やオスマン帝国の支配を受け、その影響(特にビザンティン文化)を受けている。また、東ローマ帝国やオスマン帝国と、神聖ローマ帝国、オーストリア帝国など西方の勢力との衝突点であり、宗教でも正教会、イスラム教とカトリックが混在している。19世紀から20世紀にかけて、多民族を包含する巨大な帝国が失われた後、民族混住の地であったこの地域はヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、両世紀を通してバルカン戦争や両世界大戦、一連のユーゴスラビア紛争などの多くの争いを経験した。これらの国々はNATOや欧州連合の加盟国であるか加盟を目指す国々であり、また南東欧協力プロセスや中欧自由貿易協定を結び、新たな地域統合の道が模索されている。 多くはワルシャワ条約機構に加盟していた。冷戦期の東側諸国(Eastern Bloc)と「東ヨーロッパ(東欧)」(Eastern Europe / East Europe)表記を混同しないこと。
中東欧
スロバキア
スロベニア
チェコ
ハンガリー
ポーランド
東南欧
アルバニア
クロアチア
コソボ
セルビア
ブルガリア
ボスニア・ヘルツェゴビナ
北マケドニア
モルドバ
モンテネグロ
ルーマニア
トルコ
冷戦時代冷戦期のヨーロッパ
ワルシャワ条約機構加盟国
ソビエト連邦
チェコスロバキア社会主義共和国
ドイツ民主共和国
ルーマニア社会主義共和国
ハンガリー人民共和国
ブルガリア人民共和国
ポーランド人民共和国
中立国
アルバニア社会主義人民共和国 (ワルシャワ条約機構を1968年に脱退)
ユーゴスラビア社会主義連邦共和国
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 国際連合統計局の分類より(地図)。および次の「Northern Europe」参照 ⇒[1] 2011年2月17日. 2011年4月2日閲覧。
なお、日本の外務省欧州局は西欧課が担当する。外務省欧州局
出典^ “ ⇒Standard Country and Area Codes Classifications (M49)”. 国連統計部
^ ドイツ・StAGNによる分類