旧ソビエト連邦の加盟国の以下の国々を含む場合もある。
カザフスタン
アゼルバイジャン
ジョージア
アルメニア
これらの国々はCISの加盟国か元加盟国となっている旧ソ連邦の国々であり、その領土の一部が地理的にヨーロッパにあるか、ヨーロッパと歴史的に深いつながりのある国々である。それぞれ別の時代にロシア帝国あるいはソビエト連邦の一部へと組み込まれていった。現在でも経済的にロシアとのつながりが深いが、政治的には親ロシア的なアルメニアから、NATO加盟を目指す西側志向で反ロシア的なジョージアまで立場はさまざまである。
モルドバ
モルドバは民族的にはルーマニアに近く、南東ヨーロッパに分類される場合がある[2]。
エストニア
ラトビア
リトアニア
旧加盟国の中で、リトアニア・ラトヴィア・エストニアの3カ国はバルト三国と呼ばれ、北ヨーロッパにも含まれる国々[注 1]。
これらの国々は第一次世界大戦時のロシア帝国崩壊に伴って独立を果たし、政治的自治の自由を味わった。しかしまもなく、ドイツとソビエト連邦による密約・モロトフ=リッベントロップ協定に基づいてソビエト連邦の構成国となった。3カ国ともソビエト連邦崩壊の混乱のさなかに独立を回復し、その後NATOや欧州連合への加盟を果たしている。しかし、国内には全人口の数割に及ぶ多数のロシア系住民をかかえており、反ロシア的な民族主義者とロシア系住民の間で政治的・文化的な緊張が続いている。 現在は中欧または中東欧とも呼ばれる国々。 中世から近代にかけて、これらの国々は連合の王朝や連合国(ハンガリー・ボヘミア・ポーランド・リトアニア間)を作り、神聖ローマ帝国やオーストリア帝国などのゲルマン系の国々の一部であった。神聖ローマ帝国やオーストリア帝国末期からその崩壊後にかけては、帝国からの自由とスラヴ人同士の連帯を希求した汎スラヴ主義運動の中心地であった(それに反しポーランド・リトアニア共和国は多民族共存を唱えた)。両世界大戦においてはドイツとロシア帝国、ソビエト連邦の衝突の地となり、戦後はソ連型社会主義の東側諸国としてソビエト連邦の衛星国となった。冷戦終結後は西側諸国と政治的連携をし、NATOや欧州連合への加盟をした。なお、ハンガリー以外はスラヴ系民族が多数を占める国家でもある。この点は同じ「中欧」でもゲルマン系民族を多数とするドイツ・オーストリア・スイスとは異なる。 現在、外務省で中央ヨーロッパを管轄しているのは「欧州局中・東欧課」である(ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタイン、ポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ブルガリア、ルーマニア、アルバニア、北マケドニア、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ギリシャ、キプロス、セルビア、モンテネグロ、コソボ、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバがこの課の管轄)。
中東欧
スロバキア
スロベニア
チェコ
ハンガリー
ポーランド