東アジアの地形は概ね西高東低の地勢であり、それは二つの造山帯によって形成される内陸部の高原や盆地と、西太平洋の沿岸部に位置する平地、半島、島々に分けて説明することができる。まず内陸では新期造山帯と古期造山帯があり、新期造山帯によってパミール高原を起点としながらアルプス・ヒマラヤ造山帯に属するヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、クンルン山脈、チベット高原、雲貴高原が形成され、これは南アジアや東南アジアとの自然境界ともなっている。さらに古期造山帯は西部から天山山脈、アルタイ山脈、モンゴル高原、大興安嶺山脈が古い山脈として形成されている。これはロシア地域との境界線の一部ともなっている。さらにクンルン山脈と天山山脈を南北に挟まれてタリム盆地、そしてタクラマカン砂漠があり、クンルン山脈の東北のふもとにはツァイダム盆地、モンゴル高原の南方にはゴビ砂漠がある。歴史的に知られるシルクロードはこの地域のオアシスや登山道を接続して開発された通商路である。
沿岸部の地体構造としては、中国陸塊と呼ばれる安定陸塊の上に卓状地が形成されている。そのため広大な平原が広がっており、海に流れ込む黄河、長江、珠江の流域または河口で平原が開けている。北から遼河流域の東北平原、黄河流域の華北平原、長江下流の平原が広がっている。また陸地から離れて東シナ海、南シナ海は中国大陸の大陸棚となり、その大陸棚に沿って日本列島や台湾などが環太平洋造山帯上に列島を構成している。そこはプレートテクトニクスの観点からはユーラシアプレートと太平洋プレート・フィリピン海プレートの境界であり、比較的火山や地震の危険性が大きい特徴がある。 東アジアの気候は内陸部と沿岸部で異なっている。山脈や高原で囲まれた内陸部は乾燥しやすく、砂漠やステップが広がっている。沿岸部はモンスーンの影響から夏の降雨量が増大する地域である。場所によっては梅雨、台風、降雪などの気象状況も発生する。日本列島の関東地方以南、中国大陸の秦嶺山脈・淮河以南、朝鮮半島南部は亜熱帯気候である。北海道、東北地方、東山地方、中国北部、朝鮮半島北部は湿潤大陸性気候であり、冬季の気温の低下が亜熱帯気候と比べて著しく、夏は高温多湿で冬は逆の条件となるような気候変化が激しい地域である。基本的に東アジアの気候は北緯36度線を付近に、亜熱帯気候と大陸性気候に分けることができる。 古代のユーラシア各地では河川流域を中心に灌漑農業が発達し、東アジアでは黄河流域で中華文明が成立した。鉄製農具の開発や農法の改善、それに伴う社会の複雑化により前17世紀には殷王朝が成立することで国家が形成される。この頃に長江流域にも勢力が及ぶようになる。前4世紀から3世紀にかけての戦国時代では様々な思想家が活躍し、前3世紀で始皇帝の秦王朝により統合された。紀元前1世紀までに漢王朝により再統一され、日本では弥生時代に入る。3世紀から6世紀にかけて日本列島に大和王権が成立し、朝鮮半島に高句麗、新羅、百済、またモンゴルでも匈奴、柔然といった遊牧民族が盛んに活動した。一方、中国大陸では晋による短期間の統一を除いて、400年近くに渡って国家の分裂が続いた(魏晋南北朝時代)。 6世紀ごろからモンゴル系やトルコ系の遊牧民族がモンゴル高原から中国大陸へと南下を繰り返すようになるが、7世紀の唐の時代になると唐はその勢力範囲を朝鮮半島から中央アジアのパミールにまで伸ばした。8世紀から9世紀になると日本では律令国家の制度を整えるに至り、さらに唐は北方のアルタイ山脈やモンゴル高原を拠点とするウイグル、西方のチベット高原やタリム盆地を支配する吐番からの侵攻を受けるようになった。
気候
歴史詳細は「東アジア史」を参照
近代までの東アジア