江原特別自治道 束草市雪岳山・新興寺の統一大仏(青銅弥勒大仏)
位置
各種表記
ハングル:???
漢字:束草市
日本語読み仮名:そくそうし
片仮名転写:ソクチョ=シ
ローマ字転写 (RR):Sokcho-si
統計(2023年)
面積:105.30 km2
総人口:82,054[1] 人
男子人口:40,620 人
女子人口:41,434 人
行政
国: 大韓民国
上位自治体:江原特別自治道
下位行政区画:8洞
行政区域分類コード:
束草市の木:---
束草市の花:---
束草市の鳥:---
自治体公式サイト: ⇒束草市
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束草市庁
束草市(ソクチョし)は、大韓民国江原特別自治道の市である。北緯38度より北側にあり、朝鮮戦争前までは北側の実効支配下にあった。 江原特別自治道の東北部に位置し、東は日本海に面し、南は襄陽郡、西は麟蹄郡、北は高城郡に接している。南北軍事境界線から約62km南にある。市域西部は雪岳山(ソラクサン)国立公園が占めており、良い海水浴場もあって韓国国内では有数の観光地となっている。2012年の統計では年間観光客数が1175万人(うち外国人76万人)となっており、特に8月は1か月で約300万人が訪れている。 北緯38度線以北にある唯一の市である。 2012年の統計では84,489人。2001年の90,543人をピークに減少傾向である。2011年の外国人人口は744人で、半数以上が中国籍。日本籍は30人となっている。 高句麗時代は翼? 高麗時代に襄州と呼ばれ、李氏朝鮮時代に襄陽都護府となったが、粛宗と正祖の時代に県に格下げされたことがあり、1895年に郡になっている。 8行政洞で構成される。 行政洞法定洞
地理
人口
歴史
1914年4月1日 - 郡面併合により、襄陽郡道門面・所川面が合併し、道川面が発足。
1937年7月1日 - 道川面が束草面に改称。
1942年10月1日 - 束草面から束草邑に昇格。
1945年8月24日 - 38度線以北にあるため、ソ連軍に占領され、そのまま朝鮮民主主義人民共和国の領土となった。
1951年8月18日 - 朝鮮戦争の勃発により韓国軍が占領、邑制度が復活した。
1954年11月17日 - 軍政から民政委譲された。
1963年1月1日 - 襄陽郡束草邑が束草市に昇格。
1973年7月1日 - 高城郡土城面の一部を編入。
1983年2月15日 - 襄陽郡降?面の一部を編入。
1998年10月17日 - 市内13洞を8洞に統合。
行政行政区域図
行政区画
永郎洞
東明洞
琴湖洞
日本海に面するため、海洋性の気候で緯度の割には温暖である。日本海に面するために、韓国の平野部としては最も雪が積もりやすく、韓国の平野部としては江陵市に次いで多い123.8cm(1969年2月26日)の積雪を記録している[2]。しかし積雪1mを超えたのはこの時だけである。
最高気温極値38.7℃(2018年8月5日)
最低気温極値-16.4℃(2016年1月24日)
最深積雪123.8cm(1969年2月26日)
束草市
の気候