村田渚
テレビ番組「とぶくすり」の開始前にMCを依頼されていたが、相方の桶田には声が掛からず村田のみの出演オファーであった事からその誘いを断っている[5]。
笑いを追求することで知られ、突っ込みの間の入れ方は、芸人仲間の間で「天才」と称されたほどである。かつての相方の桶田を太田光(爆笑問題)は「あいつは天才過ぎて売れなかった」と評しているが、村田に対しても「渚のツッコミは本当に上手かった」と語っている。
直属の先輩であった三村マサカズ(さまぁ?ず)は、「後輩であり、ライバル」「俺はいつもお前にダメ出しされて、俺もお前にダメ出しする。弟かな」と村田の没後に振り返っている[6][7]。
テレビ番組「ザ・発言X あの言葉で人生が劇的に動いた!!」にくりぃむしちゅーが出演した際、上田晋也は「僕ら世代のトップランナーだったし、センセーショナルだった」と語り、有田哲平は「笑いに飢えているっていうか。24時間笑いのことを考えてないといけないんだなって、すごく学ばせてもらった」と、それぞれ振り返っている[8]。
フォークダンスDE成子坂を解散しピンで活動していた頃、ほぼ同時期にコンビを解消していた後藤秀樹(元シェイクダウン)にコンビ結成を持ち掛けられ、2001年6月にbaseよしもとを舞台に漫才をした事がある。しかし、村田は吉本入りに抵抗があった事から、正式なコンビ結成には至らなかった[9][10]。
ピン芸人時代、島根さだよし(元ツインカム)とシアターD主催の若手ライブ「なりあがり」のMCを担当していた。その際に村田は一度だけ島根に正式なコンビ結成の話を持ち掛けたが、その当時新しく役者事務所への所属が決まってしまっていた島根は身動きが取れず、結成は実現しなかった[11]。
小峠英二(バイきんぐ)は、晩年の村田と接する機会が多かった。村田の逝去後、自身のブログで「初めて事務所のネタ見せで(鼻エンジンを)見た時、衝撃を受けた。あの人に面白いと認められたかった。俺はあの人に夢中やった」と語っている[12]。
瀧上伸一郎(流れ星)は、自身がホリプロに在籍していた頃からフォークダンスDE成子坂の二人を慕っており、村田の事を「ツッコミの師匠であり、お笑いの鬼だった」とブログにて振り返っている[13]。
鼻エンジンとしてSMA NEET Projectに在籍していた頃、同じく在籍していた酒井健太(アルコ&ピース)が当時組んでいたトリオ「ホトトギス」のネタを見て、その場に居合わせていた平子祐希(アルコ&ピース)に「天才やん、こいつ」と話しかけた事がある[14]。また、元相方の桶田敬太郎も生前自身のツイッターアカウントにて「アルコ&ピース、良い『間』を持ってるね(二人とも)」と評した事がある[15]。
晩年は弁当配達のアルバイトをしていた。
ピン芸人時代、バイク事故で足を粉砕骨折し入院していた事がある[16]。
中島忠幸(カンニング)は、村田と同じく満35歳で亡くなっている[注 2]。
麻雀好きで知られ、村上淳は生前の村田とかつて親交があった事を明かしている[17]。
出演番組
テレビ
爆笑オンエアバトル(NHK)戦績4勝6敗 最高477KB
「フォークダンスDE成子坂」と「鼻エンジン」としてもオンエアを経験している。3つのユニットで出演し3つ共オンエアを飾っているのは村田が唯一である。
100KB台から400KB台まで全て経験しているが、オーバー500とトップ通過は経験できなかった。コンビ時代は両方とも全ての出演がオフエア含めて400KB台である。
笑いの金メダルjr. くりぃむ杯(テレビ朝日系)
さまぁ?ずと優香の怪しい××貸しちゃうのかよ!!(テレビ朝日系)
U-CDTV(TBS系)
笑林寺2(TBS系)
さまぁ?ずげりらっパ(メ?テレ)
タモリ倶楽部(テレビ朝日系、2003年2月28日)
「俺はあいつと同級生!芸能界同級生ギャップグランプリ!!」に出演。
イエヤス(CBCテレビ)
ゼベック・オンライン (TOKYO MX、2004年11月29日)
ラジオ
木曜Junk さまぁ?ずの逆にアレだろ(TBSラジオ、2002年12月26日)
赤坂お笑いD・O・J・O(TBSラジオ)
BERRY-BOP HIGHSCHOOL(RADIO BERRY)
コンビで出演していた生放送の番組で、2006年11月10日が最後の番組出演となった。
VHS/DVD
「フォークダンスDE成子坂」時代
フォークダンスDE成子坂LIVE 「自縛」全6巻(1 - 5巻と蔵出し)
ボキャブラ天国 公式ビデオ Vol.1?3
ホリプロお笑いライブ芸腕グランプリ1・2
ギャグ・ウォーズ2
ピン芸人時代
ホリプロお笑い紅白ネタ合戦
「鼻エンジン」時代
M-1グランプリ 2005 完全版 ?本命なきクリスマス決戦!“新時代の幕開け”?
群雄割拠!SMAお笑いカーニバル
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 村田と同様に大阪府生まれ、三重県育ちである。
^ 共に1971年に生まれて、2006年に亡くなっている。
出典^ “村田渚”. オフィス★怪人社 旧公式ホームページ (2002年11月5日). 2021年11月6日閲覧。
^ “ ⇒村田渚さんが作った輪” (2006年11月14日). 2021年5月17日閲覧。
^ “ ⇒みんなフォークダンスDE成子坂が大好きだった” (2006年11月15日). 2021年5月26日閲覧。
^ “ネプチューンMC特番で村田渚特集、その才能をくりぃむしちゅーや小峠が語る”. お笑いナタリー (2018年6月18日). 2018年12月9日閲覧。
^ “第40回ダイノジ大谷ノブ彦のオールナイトニッポン!”. ダイノジ大谷ノブ彦のオールナイトニッポン 公式サイト (2014年1月9日). 2021年4月20日閲覧。
^ “さまぁ?ず、くりぃむ、ネプが絶賛“伝説の芸人”村田渚さん突然死の新事実とは?”. オリコンニュース (2018年6月18日). 2021年4月13日閲覧。
^ “フォークダンスの村田渚は志半ばで死んだ芸人です。”. 三村マサカズTwitter (2013年11月12日). 2021年4月12日閲覧。
^ “さまぁ?ず、くりぃむ、ネプが絶賛“伝説の芸人”村田渚さん突然死の新事実とは?”. オリコンニュース (2018年6月18日). 2021年4月13日閲覧。
^ “フォークダンスde成子坂の村田渚さんの記事を目にした。”. 後藤秀樹Twitter (2018年6月21日). 2020年8月17日閲覧。
^ “アフターライブ 後藤秀樹と村田渚(ゲスト)”. ++むらたや++ (2001年6月9日). 2021年7月13日閲覧。
^ 藤井ペイジ公式YouTubeチャンネル 2021年3月19日配信動画「元『ツインカム』島根さだよしさんに話を聴こう!パートA【村田渚さんとの約束】」より
^ ⇒バイきんぐ小峠の日記「見ル前二跳ベ」 - 村田渚さん(2006年11月28日の記事)
^ 流れ星 瀧上紳一郎オフィシャルブログ「イタイのイタイの飛んで行け!!」- 11月11日という日(2008年11月12日の記事)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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