村崎百郎
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鬼畜ブーム到来

1995年より青山正明率いる東京公司編集の伝説的な鬼畜系ムック危ない1号』(データハウス)に参加し、ゴミ漁りルポ「ダスト・ハンティング=霊的ゴミ漁り」「勝手にゴミュニケーション」を寄稿、一躍同誌の看板作家となる。

その後、青山正明のアドバイスで紫頭巾の覆面キャラクターを形作り、雑誌『SPA!』1995年11月1日号の特集「電波系な人々大研究―巫女の神がかりからウィリアム・バロウズ、犬と会話できる異能者まで」でメディアに初登場する[11]。のちに本記事をもとに膨大量の語り下ろし談話を加味して加筆訂正を行った単行本『電波系』(太田出版)を根本敬との共著で1996年9月に上梓する。

1996年1月10日には新宿ロフトプラスワンで20世紀末最悪のトークライブ「鬼畜ナイト」を主宰する。このイベントは『危ない1号』第2巻「キ印良品」刊行記念、および東京公司新年会、並びに大麻取締法違反で昨年保釈されたばかりの青山正明を励ます会を兼ねたもので、村崎を中心に青山正明吉永嘉明柳下毅一郎根本敬佐川一政夏原武釣崎清隆宇川直宏石丸元章クーロン黒沢など30人以上の鬼畜系文化人が登壇し、キャッチコピーにある通り「誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトークセッション」を繰り広げた、伝説のトークセッションとなった。このイベントの模様は同年8月に『鬼畜ナイト 新宿でいちばんイヤ?な夜』(データハウス)として書籍化され、7万部を売り上げるヒットを記録する[15]。また、この成功は創業まもない新宿ロフトプラスワンの名を世に広く知らしめるきっかけとなった。

1996年7月には、村崎百郎の処女単行本にして唯一の単著『鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』(データハウス東京公司)が青山正明の監修で刊行された[16]。著者略歴では、1961年シベリア生まれ。最終学歴は中卒。1980年に上京。凶悪で暴力的な性格が災いし、陰惨な傷害事件をくり返しながら多くの工場や工事現場を転々とする。1995年より「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ために「鬼畜系」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに日本一ゲスで下品なライター活動をはじめるとしていた[1]。なお『鬼畜のススメ』は“鬼畜的生き方の入門書”として、ゴミ漁りのノウハウを詳細に解説している本であり、村崎がゴミ集積場から日々持ち帰った種々のゴミを通して人間の生活や精神構造、更には思想までをも事細かに分析する様子が綴られている。


本書では、他人のゴミを漁ってプライバシーを暴き出すダスト・ハンティング(霊的ゴミ漁り)が紹介されている。村崎はまえがきで本書のテーマを次のように語った。徹底的に己の欲望に正直にさし向かい、本当に自分がやりたいのは何なのか、よく考えてみるがいい。/人は人としてこの世に生まれた限り、好きなことを好きなようにやるべきだ。/やりたくないことは、命をかけてもやらない。そんな生き方ができるなら、それだけでもたいしたもんだ。人はそういう生き方でも充分救われる。/まずは自分の中の、外に向かって取りつくろっているウソを一枚ずつ引きはがして潰していけ。そうやって少しずつ身軽になって人生を楽しめ。楽しくなけりゃあ人生なんてウソだからな。/己の欲望に忠実に・徹底的に利己的であれ。この本はそんな鬼畜的生き方の入門書として、俺の趣味のひとつである「楽しいゴミ漁り」を解説したものだ。/これだけは保証しよう。想像力や妄想力を働かせながら漁ったゴミと対話を続ければ、あんたらは必ず深い「他者理解」や「人間理解」が得られるだろう。/何をやるにしても「人間」を理解することは共通の基本テーマであるはずだ。やりたいことを貫きたい人間はまず、「人間」を深く学ばねばならない。/「たかがゴミ漁り」からどれだけのことが学べるか。それが本書のテーマである。 ? 村崎百郎『村崎百郎のパンデミック時代を生き延びろ! (1)「鬼畜のススメ」世の中を下品のどん底に叩き墜とせ!!』より一部省略して引用(百郎文庫, 2020年7月, Kindle版, 位置No.全3934中 19-89 / 1-2%)

『鬼畜のススメ』刊行の2ヶ月後、村崎百郎は「電波系」にまつわる体系的な考察を行った単行本『電波系』(太田出版)を特殊漫画家根本敬との共著で1996年9月に上梓した。これは『SPA!』1995年11月1日号の特集「電波系な人々大研究──巫女の神がかりからウィリアム・バロウズ、犬と会話できる異能者まで」に掲載された対談記事をもとに、膨大量の語り下ろし談話を加味して単行本化したものである。村崎は『電波系』のあとがきでも次のように語っている。「だから、もう電波に対してそんなに真剣に悩まなくてもいいんだ。好きに生きろよ」[17]


危ない1号』の後継誌『危ない28号』(データハウス)では「世紀末鬼畜放談」と題したエッセイを連載したほか、ミリオン出版月刊誌GON!』に「汚物童子・村崎百郎の勝手に清掃局/隣の美女が出すゴミ」と題したゴミ漁りの連載を1995年10月号から1999年5月号まで行う。その後も同誌に「村崎百郎の魁!!鬼畜塾!」を1999年7月号から2001年5月号まで連載していた。

悪趣味ブームの他のライターは記事は鬼畜だが、ライター本人はまともというスタンスであったが、村崎は自身も異常であるというキャラクターに則りつつ、執筆活動を行っていたのが特徴であった[3]。公の場に登場する際や書籍などに写真が掲載される際には、常に頭部を全て覆う紫色の頭巾(片目の部分に穴が開いている)を被って素顔を隠していた[3]。自称していたプロフィールについても、真偽のほどや詳細は不詳となっていたが、2001年に出版社ペヨトル工房の回顧録『ペヨトル興亡史─ボクが出版をやめたわけ』に村崎百郎の名義で寄稿し、週1回のボランティアを経てペヨトル工房のアルバイトになり、さらに同社の社員になっていたことを自ら明かしていた[4]左から村崎をプロデュースした特殊漫画家根本敬、村崎の姪で占い師の黒田有南、村崎の妻で漫画家の森園みるく(2022年8月24日に撮影)

妻の森園みるくは、村崎が原作を担当した漫画の共同執筆を行っていたほか、マネージメントや資料集め、食事などのサポートをしていた。生前の村崎は『危ない28号』の連載「世紀末鬼畜放談」において、森園とは同棲しており内縁の妻だとしていたが「村崎百郎」のパブリックイメージに反するとして結婚していることは認めていなかった。2人が結婚したとする記事には抗議して、セックスだけの関係と訂正するように要求していた[3][18]

2000年からはアスキーの3DCG専門雑誌『ウルトラグラフィックス』で唐沢俊一との時事放談『社会派くんがゆく!』の連載を開始。同誌休刊後はアスペクトウェブサイトに移籍し、2010年7月15日まで全102回にわたり連載された。しかし、この連載は村崎百郎の仕事としては評価が低く、ライターばるぼらは「鬼畜・悪趣味が飽きられてリアル・実話誌系に移行していった1990年代から2000年代への流れとシンクロした内容だが、村崎の発言は常に挑発的で鬼畜を軸としているものの、ゲスな口調を除けば、回を重ねるごとに倫理的なものになっている。インターネットの普及によるゲスな妄言の大衆化、現実が妄想を追い越したような最低な事件の数々が、村崎を相対的にまともに見せてしまっている」と解説していた[19]
刺殺

2010年7月23日午後5時頃、村崎は読者を名乗る32歳の男性に東京都練馬区羽沢の自宅で48ヶ所を滅多刺しにされ殺害された[3][20]。48歳没。自ら警察に通報して逮捕された容疑者は精神病により通院中で[21]精神鑑定の結果、統合失調症と診断され不起訴となった[22]


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