村井純
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2011年 IEEEインターネット賞[25]

2012年 大川賞[26]

2013年 インターネットソサエティインターネットの殿堂(パイオニア部門)殿堂入り[27]

2017年 情報通信技術賞 総務大臣表彰

2019年 フランス共和国レジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)[28]

2019年 福澤賞

2020年 C&C賞[29]

エピソード

教育

1980年代

東京大学の助手を勤めていた1980年代の終わりに慶應義塾大学の新しいキャンパス(湘南藤沢キャンパス)創設にあたり、教員の誘いがあった。村井は当時、正統派とされていた通信工学の系統でない自覚があったが、全く新しい教育にチャレンジする新しいキャンパスという前提があったため、インターネットを前提とする世界で初めてのキャンパスを作ることに挑戦した。そのためにまず村井が準備したことは、1)まだ出始めのIBM PCアーキテクチャーの可搬コンピューター(ラップトップコンピューター)を全学生に持たせること。2)教室で授業中にラップトップコンピューターを使わせるために、全教室の全ての学生用の机にAC電源を配置すること。3)学生のコンピューターが常にインターネットに繋がるためにネットワーク接続のコネクターを全ての座席に配置することであった。当時としてはとんでもないことであり、世界中のどのキャンパスもこの様な環境はまだなかった。
[30]



社会

e-Japan構想

IT戦略会議について

プロバイダが続々と誕生し始めた1995年、テレホーダイが登場し、ヤフーなどの検索サービスが登場するなど、一般ユーザーにとってもインターネットが使いやすくなり始めた。一方、98年には失業率が史上初めて4パーセントを突破するなど、先行きの見えない経済不安を日本は抱えていた。90年代後半、アジアの中でも日本と韓国は同様に落ち込んだが、韓国ではADSLを国内インフラにするなどのIT政策が成功して一気に立ち上がり始めていた。そこで日本では98年11月に打ち出された政府の緊急経済対策の内、情報通信分野ではブロードバンド推進に乗り出し、先端電子立国を形成し、光ファイバ網を整備すると謳われた。所信表明演説森喜朗首相がe-Japan構想を打ち出す。2000年にはIT戦略会議が設置され、IT基本法が成立した。2001年には内閣にIT戦略本部が作られた。IT戦略本部のメンバーだった村井は、「経済が落ち込む、これはインターネットがちゃんと使われてないからじゃないか?という議論がまず起こりました。技術的なことは僕らがずっとやってたんで、僕らとしては日本は進んでると思ってた。でも良く考えてみると社会の中での普及が遅れてるんですね。これは社会制度や法的規制の問題です。で、政府としてやらなきゃダメな部分があるな、という話になったんです。」とIT戦略会議の経緯を説明する。[31]

IT基本法について

「(略)..........とにかくインターネットという技術が何を意味するのか、どなたも分かってなかったですからね。ITがなぜ経済の振興に役立つのか、日本の活性化のためになるのか。これらの結びつきが誰も説明できないんです。コンピュータでどう経営がよくなり、行政が変わるのか?と言われても難しいですよね。............ (略)」日本国民全員がデジタル情報を自由にやりとりする。また、様々な知識や情報を交換することで日本を活性化する。これを基本法としてまず決めた。IT基本法が3年で見直されることになってのも、村井のアイデアだった。「デジタル情報を使ってみんなんが生き生きする国を作るんだ、と基本法で定めたことは大きな礎です。このコンセンサスをまず最初に作っておかなければ、じゃあそれでどうなるの?みたいな話になっちゃう。これでは議論が拡散してしまいますからね。それからインターネットの世界では必ず新しい技術が出てくる。だから僕は2年で見直したいと言ったんです。........(略)」[32]

以降、村井は政府のIT政策に有識者として関わり続けるが、常に高いボール(例えば新しい担当省庁の設立)を投げかけ続けて約20年後、菅政権時にデジタル庁が誕生する(村井は設立当初から顧問)。[33][34]



Winny事件

2006/2/16  京都地方裁判所でファイル交換ソフト「Winny」を開発した金子勇氏が著作権法違反幇助の罪にあたるとして争われた裁判の第19回公判が開かれた。弁護側の証人として村井が出廷。村井は検察側の質問に、「P2Pのコンセプトに基づいて、ファイルを共有するソフトだと理解した。ファイルを発見して共有する性能が優れており、中央のサーバーを持たない純粋のP2P型ソフト」、「ネットワークの効率を上げるための洗練された技法と、それを利用の目的と結び付けて考えるのは理解できない。」、「P2Pは大事な概念だが、その研究開発にブレーキがかかったと思う。」などと答えた。[35][36]

2009年WIDEプロジェクトの研究報告書の第一部にて、ーWinny開発者に対する大阪高等裁判所の判決と技術者の社会的・道義的責任についてー意見表明を掲載。[37][38][39]

2010/3/11 逆転無罪に導いた弁護士 壇俊光氏が第25回 WIDE賞を受賞。[40][41]

2013/7/6 金子勇氏死去。当時、慶應義塾大学環境情報学部長だった村井は、日経コンピュータ誌電子版に追悼のコメントを寄せた。以下一部コメントから引用「金子勇さんが受け止めた困難の社会的要因を追求し、金子勇さんのスピリットが健全に羽ばたける世に治すことは、金子勇さんとのお別れに際し私たちの硬い約束とさせていただきたいと思います。」[42]

2023/3/10 Winny事件をモデルにした映画『Winny』が公開された。脚本・監督は松本優作。村井は映画の公開に際しての取材で、「WinnyはP2Pを使った洗練された日本製の技術で、当時の技術力としては他国を遥かに超越しており、金子氏が生きていればその後のGAFAの景色は変わっていたかもしれない」などと述べる。
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