村井純
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2020年4月 - 2022年6月 一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ API地経学研究所所長兼APIシニアフェロー[20]
2020年4月 特定の学部に所属しない慶應義塾大学教授(有期)(現任)
2020年10月 内閣官房参与(デジタル政策担当)(現任)[3]
2021年9月 デジタル庁顧問(現任)
2022年7月 - 2023年6月 公益財団法人国際文化会館 顧問 兼 シニアフェロー(一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブと国際文化会館との合併に伴い以下に肩書変更)
2023年7月 公益財団法人国際文化会館 顧問(現任)
インターネット発展への貢献
1984年 JUNETを設立(東工大と慶應義塾を接続)
1985年1月 JUNETをアメリカのUSENETと接続
1986年1月 JUNETをアメリカのCSNETと接続(日本ネットワーク初の海外接続)
1986年8月 IANAのジョン・ポステル氏より、.jp ccTLDの権限を氏個人に委任される
1987年5月 InetClub設立に貢献
1987年10月 JUNETを東大と接続
1988年7月 WIDE (Widely Integrated Distributed Environment) プロジェクト発足。WIDEプロジェクト初の回線開設(東大-東工大間64kbps)
1989年1月 専用線でのアメリカ (NSFNET) との接続を実現させる
1989年2月 アドレス調整委員会がIPアドレスの割り当てを開始
1989年4月 JUNETが.JPへ移行
1991年12月 JNIC(のちの日本ネットワークインフォメーションセンター (JPNIC))発足
1992年 第1回インターネット協会 (ISOC) 総会が神戸で開催される
1992年 WIDEプロジェクトがNifty-Serve、PC-VANとの接続実験を開始
1993年 日本初の商用インターネットサービスプロバイダIIJの設立に貢献
1993年 WIDEプロジェクトがNifty-Serve、PC-VANと相互に電子メール送受を開始
2001年12月 IANAは.jp ccTLDの委任先について、氏からJPRSへの移管請求を受理[21]
主な受賞歴
1986年 第一回 元岡達賞
1999年 大川出版賞[22]
2001年 情報通信月間 総務大臣表彰
2002年 情報化月間 経済産業大臣表彰
2004年 国際協力の日 総務大臣表彰
2005年 Internet Society Jonathan B. Postel Service Award[23]
2006年 情報通信月間 総務大臣表彰
2007年 情報処理学会 FIT船井業績賞[24]
2011年 IEEEインターネット賞[25]
2012年 大川賞[26]
2013年 インターネットソサエティのインターネットの殿堂(パイオニア部門)殿堂入り[27]
2017年 情報通信技術賞 総務大臣表彰
2019年 フランス共和国レジオン・ドヌール勲章(シュヴァリエ)[28]
2019年 福澤賞
2020年 C&C賞[29]
エピソード
教育
1980年代
東京大学の助手を勤めていた1980年代の終わりに慶應義塾大学の新しいキャンパス(湘南藤沢キャンパス)創設にあたり、教員の誘いがあった。村井は当時、正統派とされていた通信工学の系統でない自覚があったが、全く新しい教育にチャレンジする新しいキャンパスという前提があったため、インターネットを前提とする世界で初めてのキャンパスを作ることに挑戦した。そのためにまず村井が準備したことは、1)まだ出始めのIBM PCアーキテクチャーの可搬コンピューター(ラップトップコンピューター)を全学生に持たせること。2)教室で授業中にラップトップコンピューターを使わせるために、全教室の全ての学生用の机にAC電源を配置すること。3)学生のコンピューターが常にインターネットに繋がるためにネットワーク接続のコネクターを全ての座席に配置することであった。当時としてはとんでもないことであり、世界中のどのキャンパスもこの様な環境はまだなかった。[30]
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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