村上春樹
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「これまでの人生で巡り会ったもっとも重要な本」としてフィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』、そしてチャンドラーの『ロング・グッドバイ』の3冊を挙げている[75][注 11]。読売新聞で『1Q84』をめぐる記者との対談に於いて、後期ヴィトゲンシュタインの「私的言語」概念[注 12]に影響を受けていたことを明かした[注 13]
評価
文学賞選考における評価

文学賞作品名結果選評など
第22回
群像新人文学賞
(1979年4月発表)『風の歌を聴け』受賞

選考委員は佐々木基一佐多稲子島尾敏雄丸谷才一吉行淳之介の5人。全員から支持を得て受賞。

丸谷才一はアメリカ文学からの影響を指摘しながらもその才能を激賞し「この新人の登場は一つの事件」であるとした[78]

第81回芥川賞
(1979年7月発表)『風の歌を聴け』候補のみ

丸谷才一の選評。「もしもこれが単なる模倣なら、文章の流れ方がこんなふうに淀みのない調子ではゆかないでせう。それに、作品の柄がわりあひ大きいやうに思ふ。」

瀧井孝作の選評。「外国の翻訳小説の読み過ぎで書いたような、ハイカラなバタくさい作だが……。(中略)しかし、異色のある作家のようで、わたしは長い目で見たいと思った。」

大江健三郎の選評。「今日のアメリカ小説をたくみに模倣した作品もあったが、それが作者をかれ独自の創造に向けて訓練する、そのような方向付けにないのが、作者自身にも読み手にも無益な試みのように感じられた。」

第83回芥川賞
(1980年7月発表)『1973年のピンボール』候補のみ

大江健三郎と吉行淳之介が支持に回ったものの、井上靖中村光夫らは拒否した[79]

その後村上が長編小説を仕事の中心に構えたこともあり、彼の作品が三度芥川賞の候補に選ばれることはなかった(芥川賞は中編、短編が対象のため)。

村上がのちに世界的な作家へ成長したことにより、二回にわたる取りこぼしはしばしば芥川賞に対する批判の的となる。


国内の評価.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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川本三郎は、村上を早くから注目していた人物の一人。『カイエ』1979年8月号で最初のインタビューを行っている。村上との共著に『映画をめぐる冒険』(講談社、1985年12月)がある。近年は村上の作品に対し批判的な意見を述べることが多い。『アンダーグラウンド』の書評では、「読んでいるあいだじゅう、なぜ突然、村上さんが『社会派』になったのかという違和感がこびりついて離れなかった。」「村上さんもまた紋切り型の『物語』に乗ってしまったのか」と述べている[80]

柄谷行人は、村上の作風を保田與重郎などに連なる「ロマンティック・アイロニー」であるとし、そこに描かれる「風景」は人の意思に従属する「人工的なもの」だと述べた[81][注 14]

竹田青嗣は、『村上春樹をめぐる冒険 : 対話篇』(河出書房新社、1991年、共著)という著書がある。肯定派として知られる。

田中康夫は、村上の小説には「『女の子は顔じゃないよ。心なんだよ』といった小説好きの女の子を安心させる縦文字感覚」があると述べ、エッセイに関しても「常に『道にポンコツ車が捨ててあったから、拾ってこようかと思った』という内容」[82]だと批判している。

村上龍は、本当に気持ちよく読める小説というのは今まで、『風の歌を聴け』とか『1973年のピンボール』までなかった。村上の小説は非常に気分よく読め、会話も楽しめ、プロットも楽しめる。いままでそういう作家はなかなかいなかった。なんか「読め」という感じで読まされるのが多かった。また、雑誌の中の他の言葉を拒否できる強固さ、強固な世界がある、と語っている。更に、村上の小説の出現を受け、自分に、長いものを書く、会話を軽視する、人物の行動で物語を進める、熱狂を書くことを言い聞かせたという。[83]

上野千鶴子は、鼎談集『男流文学論』(小倉千加子富岡多恵子共著、筑摩書房、1992年1月)において『ノルウェイの森』を論評し、次のように述べている。「はっきり言って、ほんと、下手だもの、この小説。ディーテールには短篇小説的な面白さがときどきあるわけよ。だけど全体としてそれをこういうふうに九百枚に伸ばせるような力量が何もない。」[84]

小倉千加子は、上記鼎談集において「こういう小説を書いて、村上春樹自身は救済されるんですかね」「やっぱりこの人はサクセスを求めているだけなんです。それが見えすいているでしょう。」と述べている[85]

富岡多恵子は、上記鼎談集において近松門左衛門の「情をこめる」という言葉を引用し、『ノルウェイの森』について「ことばに情がこもってない」と評する。それは「情をこめるようなことば遣いを現代というのがさせない」からかもしれないと述べている[86]

中島梓は、『ねじまき鳥クロニクル』について、「面白い」と認めつつも「骨のストーリーだけにしてみるとこれはほとんどどうしようもない三流のレディースコミックみたいなものである。」と述べている[87]

河合隼雄は、『羊をめぐる冒険』について、現代青年の直面している心理的内容が「羊男」というイメージに見事に具象化されており、夏目漱石の『三四郎』で主人公が出会った「ストレイ・シープ」のイメージと比較すると現在がどれほど違った世界になっているかよく実感できると述べている。また『ねじまき鳥クロニクル』については、青年ということを離れ現代人一般にかかわるものであり[88]、現代人の心の傷とその癒しについて多くのことを考えさせられ、また心理療法の本質に触れるような文に何度も出会って、自分の仕事のあり方について立ち止まって考えざるを得なかったと述べている[89]

渡部直己は、村上の語りを「黙説法」と呼び、その作品が自己愛の現れに過ぎないものと論じた[90]

大塚英志は、『アンダーグラウンド』の書評で、「麻原の物語と対峙する術として導き出されたのが、危機管理への警鐘という凡庸な保守論壇的日本社会批判でしかないことは、『アンダーグラウンド』の最大の欠点であり、限界であるといえる。」と述べている[91]

佐野眞一は、『アンダーグラウンド』の書評で、「私は村上はノンフィクションというものをほとんどわかってないなあ、と思わざるを得なかった。」と述べている[92]

福田和也は、『作家の値うち』(飛鳥新社、2000年)の中で村上を夏目漱石以降で最も重要な作家と位置づけた。『ねじまき鳥クロニクル』に現役作家の最高得点を与えた[93]『「内なる近代」の超克』でも称賛している。

斎藤美奈子は、プロットの展開をロールプレイングゲームになぞらえ、「村上春樹をめぐる批評ゲームは『オタク文化』のはしりだった」と評している[94]


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