年号主な出来事文学賞受賞・候補
1949年1月12日、京都府京都市伏見区で生まれる。
1955年(6歳)西宮市立浜脇小学校入学。
1961年(12歳)西宮市立香櫨園小学校卒業。
1964年(15歳)芦屋市立精道中学校卒業。
1967年(18歳)兵庫県立神戸高等学校卒業。
1968年(19歳)早稲田大学第一文学部に入学。和敬塾に入寮[注 26]。
1971年(22歳)10月、高橋陽子と結婚。
1974年(25歳)国分寺にジャズ喫茶「ピーターキャット」を開く。
1975年(26歳)早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。
1977年(28歳)「ピーターキャット」を千駄ヶ谷に移転。
1979年(30歳)処女長編小説『風の歌を聴け』を出版。『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞。
また、第81回芥川賞と第1回野間文芸新人賞の候補となる。
1980年(31歳)『1973年のピンボール』が第83回芥川賞と第2回野間文芸新人賞の候補となる。
1981年(32歳)「ピーターキャット」を友人に譲り、小説家業に専念。
最初の翻訳書『マイ・ロスト・シティー』を出版。
1982年(33歳)『羊をめぐる冒険』が第4回野間文芸新人賞を受賞。
1983年(34歳)最初の短編集『中国行きのスロウ・ボート』を出版。
1985年(36歳)『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が第21回谷崎潤一郎賞を受賞。
1986年(37歳)10月、ヨーロッパへ渡る。
1990年(41歳)1月、ヨーロッパ滞在より、帰国。『TVピープル』が第17回川端康成文学賞の候補に上がる。
1991年(42歳)1月、米国のプリンストン大学に客員研究員として招聘される。
1992年(43歳)客員講師として大学院で週にひとコマのセミナーを1年間担当。
1993年(44歳)タフツ大学に移籍。
1995年(46歳)5月、4年間にわたる米国滞在を終え帰国。
1996年(47歳)6月、「村上朝日堂ホームページ」を開設。『ねじまき鳥クロニクル』が第47回読売文学賞を受賞。