村上春樹
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^ 村上は次のように述べている。「言語とは、誰が読んでも論理的でコミュニケート可能な『客観的言語』と、言語で説明のつかない『私的言語』とによって成立していると、ウィトゲンシュタインが定義している。私的言語の領域に両足をつけ、そこからメッセージを取り出し、物語にしていくのが小説家だと考えてきた。でもある時、私的言語を客観的言語とうまく交流させることで、小説の言葉はより強い力を持ち、物語は立体的になると気がついた。プロ野球のセ・パ交流戦のように(笑)」[77]
^ 村上の作品に「柄谷行人」というショートショートがある。『夜のくもざる―村上朝日堂超短篇小説』に収録される予定であったが、担当編集者の反対にあい未収録となった。同作品は現在、『村上春樹 雑文集』(新潮社、2011年1月)で読むことができる。
^ スピーチ原稿の英文は次のとおり。Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.[123]
^ インタビュアーは柳橋閑。村上は言う。「僕は、走ることが創作のために大事な役を果たしているという肉体的な実感をずっと持ってきたんです。でも、走ることで脳の創作的な能力がインプルーブされると、僕がいくら言っても、まわりの誰も耳を傾けてくれなかった。30年近く走ってきて、それは絶対にあると思っていたんだけど、この間『脳を鍛えるには運動しかない!』という本を読んでいたら、本当にそれはあるんだという研究結果が紹介されていたんです」「僕が一貫して言ってきたのは、創作作業には持続力と集中力が不可欠だということなんです。それはクルマの両輪のようなもので、片方が欠けたらもう進めない」[134]
^ ただし前掲雑誌『週刊朝日』インタビューでは、卒論を読んだ指導教授の「君は小説が書けるんじゃないかね」という言葉が念頭にあったと述べている。
^ エルヴィス・プレスリーについては、とりわけ1960年代前半に公開された主演映画の挿入歌に思い入れが強いことがその著作からうかがえる。「心の届かぬラヴ・レター」(『風の歌を聴け』講談社文庫、92頁)、「ロカ・フラ・ベイビー」(『ダンス・ダンス・ダンス』上巻、講談社文庫、137頁)、「ブルー・ハワイ」(『ダンス・ダンス・ダンス』下巻、講談社文庫、99頁)「ボサ・ノヴァ・ベイビー」(『辺境・近境』新潮文庫、76頁)、「ラスベガス万才」(『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文藝春秋、170-172頁)などがその例。
^ ドアーズのボーカルのジム・モリソンを「かつての我がアイドル」とエッセイに書いており(「青春と呼ばれる心的状況のおわりについて」『村上朝日堂はいほー!』所収)、また「ジム・モリソンのための「ソウル・キッチン」」というモリソンについてのエッセイも書いている(『村上朝日堂はいほー!』所収)。
^ 「僕は『チョコレートと塩せんべい』と言ってるんだけど、チョコレートを食べて塩辛いものを食べたいなと思うと塩せんべいを食べて、甘いものがいいな思うとまたチョコレート食べて――永遠に続くんですよね。」[141]
^ ジョン・カサヴェテス監督の映画『グロリア』(1980年)で、逃亡するグロリアと少年の間で次のような会話が交わされる場面がある。You can't beat the system. Then how do you know you can't beat it? Not too many people have. (「組織には誰も勝てない」「どうして勝てないってわかるの?」「勝った人間はほとんどいないから」) なお村上は『グロリア』の映画評を2度書いている[146][147]
^ 職場がニュース番組の取材を受け「テレビにすっかり幻滅した」と語る読者のメールに対し、村上はこう返信している。「僕はテレビ関係者と関わったことがほとんどないので、それが普通なのかどうかよくわかりません。でも僕が(心ならずも)関わった限りでは、そこに愉快なことはなにひとつありませんでした。これからもできれば関わりたくないなと思っています」[154]
^ 安西水丸はこう述べる。「『ねじまき鳥クロニクル』の登場人物ではワタヤノボルなんです。『ワタナベノボルでやりたかったけど、水丸さん、あれすごい悪い奴だからワタヤにしましたよ』って。変えてくれたんです(笑)。やっぱり村上さん、いい人ですよ」[161]
^ 近年はバーンバウム、ルービン、ガブリエルの3人のほかに、ヨーク大学教授のテッド・グーセンが加わった。
^ 活字化されたか否かは不明だが、河合と村上の公開対談が1998年末に広島市で開かれた心理療法士の全国会議で行われている[173]
^ 上京の様子は安西水丸との共著『象工場のハッピーエンド』の「ジョン・アップダイクを読むための最良の場所」に書かれている。寮は『ノルウェイの森』に「ある学生寮」として克明に描かれている。

出典^遠い太鼓』講談社、1990年6月、30頁。
^ “『ノルウェイの森』の発行部数1000万部突破”. オリコン. (2009年8月5日). https://life.oricon.co.jp/news/68198/full/ 
^ “村上春樹 Haruki Murakami 新潮社公式サイト”. 新潮社. 2024年3月3日閲覧。
^ 柴田元幸編・訳『ナイン・インタビューズ - 柴田元幸と9人の作家たち』株式会社アルク、2004年、259頁。
^“カフカへの思い丁寧に 村上春樹さん「人生初」記者会見”. 朝日新聞. (2006年11月1日). ⇒http://book.asahi.com/clip/TKY200611010272.html?ref=rss 2015年2月3日閲覧。 
^ “村上春樹 Haruki Murakami 新潮社公式サイト”. 新潮社. 2024年3月3日閲覧。
^ 自著『猫を棄てる』文春文庫、2022、p18
^ 『猫を棄てる』p22
^ 『猫を棄てる』p67
^ “ ⇒Japanese Writer Haruki Murakami Speaks Up on His Family's Involvement in the Sino-Japanese War” (英語). Pandaily (2019年5月13日). 2021年6月19日閲覧。
^村上朝日堂の逆襲』新潮文庫、23頁。
^村上朝日堂』新潮文庫、136頁。
^ “村上春樹氏 公開インタビュー:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年1月4日閲覧。
^夢のサーフシティー朝日新聞社、1998年7月、読者&村上春樹フォーラム91。
^ 『村上朝日堂』新潮文庫、58頁。
^ a b “エルサレム賞授賞式 素顔見せた村上春樹氏”. 読売新聞社. (2009年3月3日). https://web.archive.org/web/20090307045900/http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20090303bk01.htm 2009年3月7日閲覧。 
^ 辞典 2018、22頁
^ドイツの歴史に何を見るか (2015年3月24日) - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
^早稲田大学に進学した理由は? (2015年4月27日) - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
^ a b c 横山政男「群像新人文学賞=村上春樹さん(29歳)は、レコード三千枚所有のジャズ喫茶店店主」『週刊朝日』朝日新聞社、1979年5月4日号。
^ “【特別インタビュー】村上春樹が語った60?70年代、音楽、若者へのメッセージ連載 「RADIO PA PA」スペシャル RADIO PA PA”. AERA dot.. 朝日新聞出版. p. 3 (2023年6月4日). 2023年6月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月3日閲覧。
^ポートレイト・イン・ジャズ』新潮文庫、2008年2月、78頁。
^ “Tales of the unexpected”. www.telegraph.co.uk. 2021年6月19日閲覧。
^ ジェイ・ルービン 著、畔柳和代 訳『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』新潮社、2016年9月30日、32-33頁。
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