2002年(平成14年)以降、テレビやラジオ、雑誌など各種メディアに多く出演。2003年にはサッポロビールキャンペーンガールを務めた[2]。
2004年(平成16年)には芸能人女子フットサルチーム「HbG」に所属し、『お台場カップ』に出場している。また、同年からの2年間はユニチカマスコットガールを務めた。
その後はメディア出演が徐々に減り、司会を務めていたテレビ番組『パチンコNOW TV2』も2006年(平成18年)3月に降板。以降のレギュラー出演は情報サイト『あいちまDrive』のみとなっていた。
2006年(平成18年)11月頃から腹痛を自覚するようになったが、診療を受けることなく我慢していた[1]。同年12月には、バリ島で撮影したDVDの発売会見を行い、女優志願の抱負などを語っていたものの、痛みは治まらなかった[1]。
2007年(平成19年)1月になって地元・愛知県の病院を受診、しばらくは原因不明で、後に「盲腸癌(低分化腺癌)」と診断された。直ちに腫瘍の摘出手術を受けたものの、癌は肺や胃などにも転移しており、およそ半年間の闘病を経て、同年7月8日午前2時に逝去[1]。25歳没。
同12日、所属事務所だったセントラルジャパンが村上の病名と死亡を公表。「最期は苦しむことなく、眠る様に静かに息を引き取った」とした。葬儀は遺族の意向により近親者のみで密葬の形で執り行われた。 3歳年上だった姉・祐美は書道を特技としており、書道家「村上史游(むらかみしゆう)」として活動している[3]。 村上史游名義での祐美のオフィシャルサイトには、恵梨の逝去後に宙羽(そらはね)という題名の誌で、恵梨への思いを綴っている[4]。 恵梨も祐美と同じく書道が特技で、二段の実力だった。 ほか
家族・趣味・特技
主な出演
TV
完売劇場(2003年、テレビ朝日)
水着少女(2004年、テレビ東京)
EURO2004ユーロガールズ(2004年、WOWOW)
情報新惑星(2004年、BS日テレ)リポーター
渋谷スタイル(テレビ東京)
初体験天使?バージンエンジェル?(2004年4月5日・4月12日、名古屋テレビ)
エンタ!SELECTION(2004年5月 - 2005年3月、エンタ!371)
パチンコNOWTV2(2004年4月 - 2006年3月、CBC)
広告・CM
サッポロビール 北海道生搾り 第3弾 『富良野編』(2003年)
豊田通商「The Seasons Wind Court」(2006年)
PV
愛と欲望の日々 / サザンオールスターズ(2004年)
SUNSHINE / Hi-Timez(2005年)
WEB
あいちまDrive
写真集
innocence(2003年2月、彩文館出版、撮影:松田忠雄)ISBN 4775600028
split(2004年1月18日、ワニブックス、撮影:橋本雅司)ISBN 4847027906
Love Struck(2005年3月25日、ぶんか社、撮影:横木安良夫)ISBN 4821126532
ビデオ・DVD
ファーストDVD (2003年、ポニーキャニオン)
eyes(2004年、ポニーキャニオン)
deep in (2005年、ぶんか社)
TWO FACE (2005年、GPミュージアム)
ういごころ (2006年11月、エアーコントロール)
脚注^ a b c d ⇒人気グラドルの村上恵梨さん、盲腸がんで急死!! 『ZAKZAK』(産経デジタル) 2007年7月13日
^ “タレントの村上恵梨さんが急逝
^ 田中さつきオフィシャルブログ、さつきのひとりごと(2009年7月16日付
表
話
編
歴
サッポロビールイメージガール
1980年代
1987 アンジェラ
1988 ケリー
1989 青木美津子
1990年代
1990 松本洋子
1991 渡辺利恵
1992 C.C.ガールズ
1993 武田久美子
1994 中村英子
1995 井上晴美
1996 ビビアーニ大野
1997 宝井理英
1998 畑野浩子
1999 植松真実
2000年代
2000 眞野裕子
2001 紗川理帆
2002 鈴木ゆかり・小川奈那
2003 村上恵梨
2004 大友みなみ
2005 小林恵美
2006 山下奈々
2007 あゆみ
2008 江頭ひなた
2009 美優紀
2010年代
2010 中村果生莉
2011 葉月ミカ
2012 源崎トモエ
2013 多嶋沙弥
2014 原田ゆか
2015 朝比奈恵美
2016 柚木渚