1992年、藤沢周平の小説『用心棒日月抄』を原作とした金曜時代劇『腕におぼえあり』に主演してシリーズ化された。2005年には近衛十四郎と千葉真一に次ぐ三代目の柳生十兵衛役として[11]、金曜時代劇『柳生十兵衛七番勝負』に主演し、大層好評だったことから第3シーズンまで制作・放映された[12][13]。このほかにはテレビ朝日の『八丁堀の七人』『銭形平次』などに主演した。
2009年6月、妻がモデル時代に在籍していた縁もありオスカープロモーションへ移籍。
2011年、東日本大震災では、岩手県陸前高田市にある実家が被災した。外出中だった両親は辛うじて九死に一生を得たが、母方の叔父夫婦と従兄弟1人が死亡。実家の建物も半壊し、建て替えを余儀なくされた[7]。地元放送局からの依頼でラジオ生放送で被災者を励ましたり、知人から集めた物資をワゴン車に詰め込んで避難所を訪れたりした[7]。
2012年5月、NHK東日本大震災復興応援ソング「花は咲く」にボーカルとして参加。IBC岩手放送が毎年12月に開催するIBCラジオ・チャリティー・ミュージックソンにも度々ゲスト出演している。2014年より「いわて☆はまらいん大使」を[7]、2016年より「みなと気仙沼大使」を務める。
2018年2月に病院での検査で初期の大腸がんが見つかり、手術を受けていたことを2019年1月に所属事務所が公表した[14]。 村上は一卵性双生児で、ほかに妹が1人いる。 子供のころは『隠密剣士』が好きで、真似をしておもちゃの刀を振り回すなどしていた[9]。俳優になってからは、『仮面ライダー (スカイライダー)』のメインライターが『隠密剣士』も手掛けた伊上勝であったり、オロナミンCドリンクのCMで『隠密剣士』の制作会社である宣弘社に携わったりなどし、縁を感じたという[9]。 映画が好きで、浪人生時代に『風と共に去りぬ』を観たことがきっかけで映画業界を志した[3]。東京の大学を選んだのも映画業界に触れるためであったが、親には教師になると約束していた[3]。大学生時代はよく映画を鑑賞しており、邦画ではATG作品など社会性のある作品を愛好していた[9]。 1990年、元モデルの田島都と結婚[4]。二男二女あり。妻が野菜の多い手料理をつくることもあって30歳代から食生活の改善を心掛け、漁師町育ちながら苦手だった魚の刺身も好きになった[7]。長男は元俳優の村上由歩。長女は芸能活動をしていないが、両親や弟とともにテレビに出演したことがある。 趣味は、歴史、美術史、陶芸、クラシック音楽、ジャズ、アウトドア[1]。特技は、柔道(弐段)[6]、水泳[1]、スキー[1]。 「もう頬づえはつかない」のオーディションに主演の男性役で合格したが、数週間後スポーツ紙に「主演は桃井かおりと奥田瑛二」と出た。翌日同映画プロデューサーに会うと「当初主演の男女は新人二人でいくつもりだったが、オーディション後に女性役を桃井かおりの起用が決まり、相手の男役の年齢もキャリアもバランスが悪いとの理由で奥田に変更された」と謝罪をされたとのこと[15]。 直後、そのプロデューサーから今後のことを尋ねられ「大学で教職は取るつもりですが将来は特に決めていません」と答えたところ、芸能事務所を後日紹介される。その事務所から「大学に行ってもいいから仕事が決まるまでひと月に66,666円払う」と言われ、これまで通りの生活をしながらお金をもらえることに釣られて契約を決めた[15]。
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