李白
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千里江陵一日還千里の江陵 一日にして還る千里離れた江陵まで一日でかえれるのだ[注釈 5]
兩岸猿聲啼不住[注釈 6]両岸の猿声 啼いてやまざるに両岸の哀しい猿声が啼きやまないうちに
輕舟已過萬重山軽舟已に過ぐ 万重の山軽やかな小舟は幾万に重なる山々の間を一気に通過してしまった

 

靜夜思(静夜思)
原文書き下し文通釈
牀前看月光[45]牀前 月光を看る寝台の前に射し込む月の光をみる
疑是地上霜 疑らくは是れ地上の霜かとこれは、地上に降りた霜ではないかと疑うほどだ
擧頭望山月[45] 頭を挙げて 山月を望み頭をあげて山に上る月を望み
低頭思故郷 頭を低れて 故郷を思ふまた頭を垂れては故郷に思いをはせる

その他

關山月

李白と杜甫

李白と杜甫は中国最高の詩人として並び称される存在であり、また李白は杜甫より11歳年長であるもののほぼ同時代人である。この2人は744年に洛陽で出会い、意気投合して山東や河南を中心に1年半ほど同行して周遊し、深い交友を結んだ。翌745年に魯郡で別れたのち再び会うことはなかったが、とくに杜甫は李白のことを後年になっても懐かしみ、李白に関する20首近くの詩を残している。これに対し李白の杜甫に関する詩は4首で、詠んだ時期は2人の別れの時期に集中している[46]

李白の評価が生前から非常に高かったのに対し、杜甫は李白を含む一部の詩人からの評価は高かったものの、生前は世間一般からの評価は必ずしも高いものではなかった。しかし中唐以後、白居易元?らによって杜甫の再評価が行われ、以後この2人が大詩人として並び称されるようになった[47]。これ以後の評価では、杜甫の方に優位性を認める論と、両者ともに素晴らしい個性を持つ大詩人で優劣はつけられないとの論が並立している[48]。両者に優劣を認めず対等とする場合、「李絶杜律」と呼ばれるように李白は絶句、杜甫は律詩を得意とし、李白は飄々として天賦の才を持つ一方、杜甫は沈鬱で構成力が高いと評されることが多い[48]
李白に関係する言葉・ことわざなど
馬耳東風
王十二から来た手紙への返信
関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、李白に関連するカテゴリがあります。中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。李白の作品ウィキクォートに李白に関する引用句集があります。

大地の歌

白髪三千丈

南京 - 李白は長江を遡り同地を訪れている。市内にはそれを記念して銅像が建てられている。

桃花潭鎮 - 長江の支流にある街。

黄鶴楼 - 李白は若き日の旅でここに上っているが、流刑の夜郎に行く途中にも立ち寄ったという逸話がある。

岳陽楼 - 杜甫のみならず、李白も訪れた。

三峡

白帝城

酒豪

レブロン - 楊貴妃の美貌をうたった李白の「清平調」は社名の由来[49]

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 号の由来は、従来、李白の出身地である「青蓮郷」にちなむ。楊慎『丹鉛続録』:「李白生於彰明県之青蓮郷,其詩云『青蓮居士謫仙人』是也。」とされていたがこれは誤り。近年では仏教用語としての「青蓮」(水蓮の一種。仏典に頻出し、仏の目に喩えられる)にちなむものであることが論証されている。松浦友久「李白における蜀中生活―客寓意識の源泉として―」[1]
^ 通説では「729年の作」だが異説あり[要出典]。
^ 『旧唐書』などに見える「会稽で友人となった道士呉?の推薦を受け、長安を訪れた」という記述は、近年の研究で否定されている[13]
^ 石川忠久のように「725年の初めて蜀の地を離れた時の作」とする説もある[要出典]。
^ 白帝城から長江下流の江陵湖北省荊州市荊州古城:江陵古城)まで直線距離で250kmある。罪を得て夜郎に流される李白が、赦免されて江陵に戻る事ができるようになった嬉しさがあらわれている。
^ 兩岸猿聲啼不盡(啼いて尽きざるに)との異同があるが、教科書などでは“啼不住”が一般的である。

出典^ 『李白伝記論―客寓の詩想―』研文出版、1994年
^ 「李白と杜甫の事典」p27 向嶋成美編著 大修館書店 2019年11月20日初版第1刷
^ 「李白 漂泊の詩人 その夢と現実」(書物誕生 あたらしい古典入門)p5-12 金文京 岩波書店 2012年10月24日第1刷発行
^ 胡懷?『李太白的国籍??』〈逸? 第一期〉1936年3月。 
^ 胡懷?『李太白通突厥文及其它』〈逸? 第十一期〉1936年8月。 
^ 陳寅恪 (1935). 李太白氏族之疑問. 清華大学学報(中国語版). 清華大学出版社(中国語版). https://web.archive.org/web/20220307123304/https://mwenku.lingfengyun.com/view-12c802c5c7214619bd80b0e45dc6c2f5.html. 
^ 劉學銚『五胡興華:形塑中國?史的異族』知書房、2004年8月1日、87頁。


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