李白
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杜甫は李白をはじめとして賀知章、李?、李適之、崔宗之、蘇晋、張旭、焦遂という当代の酒豪8人を飲中八仙として取り上げ、「飲中八仙歌」のなかで歌い上げた[29]

李白は道教に傾倒しており、放浪中にも各地の道士と交友を深めていて、長安での出仕もこの道士の人脈によるものとされている[12]。さらに朝廷を致仕した744年には符?を受け、正式に道士の資格を得ている[12]。こうした道教への傾倒と神仙への憧れは、李白の作品にも強い影響を及ぼしている[30]

この時代の人材登用にはすでに科挙が導入されており、唐代の文人のほとんどは科挙に及第するか、及第まではせずとも受験した経歴があるが、李白には科挙を受験した形跡が全く見られない。これは、当時の科挙は商人の子弟および外国人は受験資格がなく、李白がこれに抵触したためであると考えられている[31]。李白本人は官僚として立身する意欲が強く、蜀にいるころから盛んに大官に売り込みを行い仕官を目指した[32]が、ほとんどはうまくいかなかった。
伝説酔った李白は高力士に靴を脱がせて恨みを買ったという伝説があるが、事実ではない

有名な伝説では、采石磯(現在の安徽省馬鞍山市雨山区)にて船に乗っている時、酒に酔って水面に映る月を捉えようとして船から落ち、溺死したと言われる。この伝説は宋代のはじめにはすでに形成されていたとされるが、上記のように実際には当塗県にて病死した記録が残っており、事実ではない[33]。ただしこの説は広く流布し、さらに采石磯が水神信仰と深い関係がある土地だったことから、李白は水神と結びつけられるようになった[34]台北市龍山寺には多くの神々の中の一柱として水仙尊王という水神がまつられており、その従神の1人として李白もまた祀られている[35]

李白の宮廷時代についてもさまざまな伝説が残されている。酔った李白が宴会で高力士に靴を脱がせ、それを恨んだ彼に讒言を受けて宮廷を追放されるという伝説も著名であり、すでに中唐の時期にそうした記述は見られるが、そもそもそうした宴会での事実はない[36]。また、李白が宮廷を辞した理由については諸説あり、同僚の讒言に依るものであるとする文献も存在するが、その場合でも讒言者は高力士ではないとされる[37]

また、李白が無名時代の郭子儀を罪から救い、それに恩義を感じた郭子儀が永王の乱に加担した李白の救命を嘆願したとの話も、裴敬による墓碑にすでに記載があり、そこから旧唐書新唐書にも記載がなされたものの、後世の考証によりやはり事実ではないとされている[38]

李白には上記の伝説以外にも様々な伝説が伝わり、後世『三言』などの小説において、盛んに脚色された。
家族

李白の家族に関する記述は少ない。先述の通り、李白は許夫人との間に2人の子をもうけたが、夫人とは後に死別したとされる。その後、南陵の劉氏を娶ったが、これは後に離婚したと考えられている。さらに東魯の某氏を側室に迎え、その間に末子の李天然を儲けたと言う。また50歳を過ぎて、洛陽で中宗の宰相であった宗楚客の孫娘の宗氏を継室として娶ったという。


許氏 - 高宗期の宰相の許圉師(許紹の末子)の孫娘
[10]

劉氏 - 南陵の名家の娘[39]

某氏 - 姓は不詳、東魯の人。李天然の生母以外は不詳[12]

宗氏 - 中宗期の宰相で詩人の宗楚客(? - 710年、字は叔敖)の孫娘[40]

子女

李伯禽(? -
792年?) - 幼名は明月奴、生母は許氏[10]。父の後を継ぐ。

李天然 - 幼名は頗黎。生母不詳(東魯の某氏の娘)[12]

李平陽 - 生母は許氏、伯禽の同母姉[10]。嫁ぎ先で間もなく早世[41]

詩の特徴

李白の詩は、六朝以来の中国詩歌の世界を集大成したものとされる。「蜀道難」「将進酒」「廬山の瀑布を望む」「横江詞」などに見るダイナミックでスケールの大きい豪放さ、「玉階怨」「静夜思」の清澄で繊細な世界、「山中にて俗人に答ふ」「月下独酌」「山中にて幽人と対酌す」などに見える飄逸で超俗的な雰囲気など、詩の内容は多彩で変化に富んでいるが、総じて変幻自在で鮮烈な印象をもたらす点が特徴的である。得意とする詩型は、絶句楽府であり、とりわけ七言絶句にすぐれる[42]
主な版本唯一現存する李白の真筆(北京故宮博物院所蔵)

宋蜀本『李太白文集』 - 30巻。北宋期の刊本を南宋初期に覆刻したもので、現存する最古の版本。静嘉堂文庫蔵。清の繆曰?が校正重刊したものがあり、これは「繆本」と呼ばれる。

『景宋咸淳本李翰林集』 - 30巻。代に覆刻された南宋咸淳5年の刊本を、清の光緒34年に影印刊行したもの。上の「宋本」とは別系統のテキストで、分類・編次が異なる上、本文にも異同がある。

『分類補注李太白詩』 - 25巻。別名『分類補注李太白集』。南宋の楊斉賢の集注本にの蕭士贇が補注を加えたもの。現存する最古の注釈書。詩が題材と表現の形式によりつぎの21類に分けられる。古風、楽府、歌吟、贈、寄、留別、送、酬答、遊宴、登覧、行役、懐古、閑適、懐思、感遇、写懐、詠物、題詠、雑詠、閨情、哀傷[43]

『李太白文集輯註』 - 36巻。別名『李太白全集』。清の王gによる注釈書。上の『分類補注本』や明の胡震享の『李詩通』などの先行する注釈書・関連資料を集大成したもの。


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