李登輝
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また李登輝は、日台は現在のところ正式な外交関係がないため、経済文化交流を強化すれば良いという意見が多く、経済・文化交流を促進して、日本人と台湾人の心の絆を深めることは重要であるが、日本人が中華意識に囚われて台湾を軽視した場合、日本は地政学的危機に陥ってしまい、まさしく日台は生命運命共同体なのであり、このことを日本人は常に意識して欲しいとしている[56]

台湾における教育改革にも心を砕き、「(国民党政権の)反日教育をやめさせ、台湾の子供たちに正しく日本と日本人を理解させなければ」と考え、1996年には新たな中学の教科書「認識台湾」を作らせた。それ以前の教育では大中華主義の歴史観で台湾の歴史や地理は教えず、また日本統治時代は一律に否定していたが、李登輝は戦前に普及した教育の制度やインフラ建設など日本の功績を認める記述を取り入れ、その結果、若い世代が日本に親しみを感じる傾向が強まったという[89]

靖国神社問題では2007年5月末から6月初旬にかけて訪日した際、日本外国特派員協会で開かれた記者会見で「“靖国問題”とは中国とコリアがつくったおとぎ話」と発言した。

台湾も領有権を主張する尖閣諸島を「沖縄県に属する日本固有の領土」であるとし[91]、2008年9月24日には訪問先の沖縄で再び日本領土だと発言した[92]。また、「おネエちゃんがきれいだからといって、私の妻だと言う人間がどこにいるのだ」「尖閣諸島周辺はよい漁場で、沖縄の漁民はかつて、同漁場でとった魚を台北に売りにきた。沖縄県当局は、日本が統治していた台湾の台北州に尖閣諸島周辺の管理を委託していただけ」「第二次世界大戦後、沖縄の行政権はアメリカが掌握し、その後、日本に返還された」「日本の自衛隊が、この海域の防衛に責任を持つことになったが、台湾の漁民は(尖閣諸島周辺で)操業することが習慣になっていたことから問題が発生した」「1972年になってから『尖閣諸島は中華民国領』と主張したことで、問題が発生した」「台湾が他人の場所に行って、魚がとれただけでも上出来だった。それを自分の『戸籍』に入れようとは、あまりにも幼稚」と、台湾が尖閣諸島の領有権を主張していることを皮肉ったという。李登輝の発言に対して中国のインターネットユーザーは、李登輝の発言の記事を掲載したサイト「環球網」にて、李登輝を「日本の犬」「売国奴」「まだ死んでいないのか」「特殊工作員を送り、一族皆殺しにして、子孫を根絶やしにしろ」などといった、李登輝に対する罵詈雑言が飛び交っているという[93]。『文藝春秋』のインタビューで李登輝は「前にも言ったように、尖閣諸島は日本の領土だ。日本は道理に合わないことを言う中国に譲歩する必要はない」と語ったことについて、李登輝の発言に対して台湾当局関係者が即座に反駁し、台湾総統府の羅智強(中国語版)報道官は「李登輝氏の尖閣諸島は日本領という発言は歴史事実に反し、しかも国家主権を侵害している」、国民党の邱毅は「李登輝氏の政権はとっくの昔に終わったのだ。いつまでも発言するな!」と強く批判した。2013年5月日本政府による尖閣諸島国有化について、「(中国は)周辺国への内政や領土干渉を繰り返すことによって、自分たちの力を誇示しているのである。こうした中国の動きを説明するのに、私は『成金』という言葉をよく使う。経済力を背景に、ベトナムから西沙諸島を奪い、南沙諸島フィリピンが領有していた地域に手を出し、そして日本領土である尖閣諸島の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張り散らす浅ましい『成金』の姿そのものである。(中略)野田前首相の時代に尖閣諸島は国有化されたが、あのような手続きを行ったところで、どれほどの効果があるのか。国が買わないなら都で買う、と表明した石原慎太郎前都知事にしても、彼の個人的な意気を示すだけの話であったように思う。もともと尖閣諸島は日本国民の領土なのだから、日本政府は手続き論に終始せず、中国が手を出してくるなら戦う、ぐらいの覚悟を示す必要がある」と述べている[94]。また李登輝は、中国人民解放軍は、陸軍には覇権を拡張する道がないため、海軍の強化に努めており、尖閣諸島周辺の領海・領空侵犯を繰り返して日本に揺さぶりをかけるが、軍事侵攻する可能性は低く、それは日本の同盟国であるアメリカ軍を恐れているからであり、従って中国は尖閣諸島の「共同管理」を突破口にして、太平洋に進出することを狙っており、中国による尖閣諸島の「共同管理」の申し出は断固拒絶すべきであると述べている[94]

2010年、下野していた自民党の一代議士だった菅義偉と浪人中の坂井学を台湾に招待し会談を行った際に「自民が政権に復帰した暁には日本と米国の安定した関係を保ちながらアジアの平和外交に貢献してほしい」と促したとされる。自民党幹部は当時を振り返り「野党とはいえそこそこの数の議員はいた。その中で菅さんを選び、浪人中の坂井さんまで招待者に含めた慧眼(けいがん)は驚きだ」としたたかな外交を評価した[95]

2010年10月に訪台した安倍晋三の訪問を受け、当時在野であった安倍に対し「もう一度、首相になりなさい。いま、あなたのほかにリーダーはいない」と助言したとされる[96]。李登輝は安倍晋三を高く評価しており、安倍が2013年3月13日Facebook東日本大震災における台湾の支援に言及して、「大切な日本の友人」と表現したことを「多くの台湾人が感動した」「歴代の日本の政治指導者がみせた『中国さまさま』の意識にとらわれることなく、激変する国際社会への対応を学んでいるようにみえる」と評している[97]

2013年4月10日に日本が調印した日台漁業協定について、「過去に日本は台湾に対して行き過ぎていたが、東日本大震災後に台湾は多くのお金を寄付したので、日本側は後に反省した。過去に日本はずっと台湾と漁業協議を署名しようとしなかったが、現在は作法を改善した。例えば、ワールド・ベースボール・クラシックの時に台湾代表チームは日本に試合に行ったが、日本の民衆も台湾チームのために応援した」[98] と語った。

李登輝は、921大地震に際して真っ先に駆けつけたのは日本の救助隊であり、また曽野綾子が会長を務めていた日本財団が3億円を寄付し、その授与式で李登輝は曽野綾子に対して、将来日本で何か起これば、真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊であると約束した[90]。その後、東日本大震災が発生し、日本台湾交流協会を通じて救助隊の派遣を申し出たが、話がまとまらず、山梨県甲府市NPOと話をつけて、救助隊を自力で被災地に向かわせたが、中国韓国の救助隊は到着しており、到着後も「台湾からの救助隊を迎え入れる準備ができない」と外務省に言われる始末であり、「なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを躊躇したのか。『台湾は中国の一部』とする中国共産党の意向を気にしたとされる。日本の台湾に対する気持ちはその程度のものだったのかと残念に思った。日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆けつけるという曽野氏との約束を果たせなかったことは、私にとって生涯の痛恨事である」と吐露している[90]

2014年、小学館発行の『サピオ』2014年2月号で、「中国という国は南京大虐殺のようなホラ話を世界に広め」、「韓国や中国は、自国の宣伝工作の一環として捏造した「歴史」を利用する。その最たる例が『慰安婦』だ」と主張[99]。2015年、『Voice』で「台湾の慰安婦の問題は決着済み」と述べ、総統府スポークスマン陳以信(中国語版)に「無知ではなく冷血」、「もし李登輝が本当に慰安婦問題がすでに決着済であると考えているならば、自ら映画館に行って映画『蘆葦の歌(中国語版)』を見ていただきたい」と痛烈に批判された[100]

2015年8月には『Voice』2015年9月号へ寄稿した中で「70年前まで日本と台湾は『同じ国』だった…台湾が日本と戦った(抗日)という事実もない」、「当時われわれ兄弟は、紛れもなく『日本人』として、祖国のために戦った」と発言し[101]日本統治時代の台湾を指す)、国民党の憤激を買った。その一方で、同年9月13日に台湾の学生団体主催の講演会に出席した時は、日本統治時代を「(当時の)日本は外来政権」、「(台湾の人が)日本人の奴隷になったのは悲しい」などと語っている[102][103]

西田幾多郎の哲学に心酔しており、政治家として出処進退が問われる場面で西田哲学を拠り所にしていたと語っている。また、新渡戸稲造の『武士道』や夏目漱石の「則天去私」の思想にも大きな影響を受けていた[104]

2020年7月に登輝の死を報じた中国共産党系のタブロイド紙環球時報は、「日本は台湾の経済発展の基礎を築くのに多大な貢献をしたが、今では私の日本の友人の多くが、台湾に貢献した日本人のことを知らないのではないかと心配している」などの一連の発言に触れて、「日本人自身でさえ信じられないほどの、上記のような馬鹿げた、卑劣な、そしてどこか哀れな言葉は、ゴキブリが暖を取るために抱き合っているに過ぎない」などと誹謗した[105]


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