李登輝
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また、日本の古典にも通じており、『古事記』・『源氏物語』・『枕草子』・『平家物語』などを読む[78]。宗教に関しては、キリスト教長老派を信奉した[79]。また、台湾総督府民政長官を務めた後藤新平を「台湾発展の立役者」として高く評価していた[80]

ちなみに、若手育成のために開いた「李登輝学校」の卒業生らが、李登輝が漫画『魁!!男塾』の登場人物の江田島平八[81]に似ているということで、PR向けに江田島平八のコスプレを行ったことがある[82]。これについて、主に国民党議員から「日本びいきだ」、「植民地支配肯定」などとの批判が起きた。

熱心なキリスト教徒で、総統退任後は「山地に入りキリスト教の布教をしたい」と語っていたが、さらなる民主化のため「台湾団結同盟」を自ら主導して創立した。また、『旧約聖書』の「出エジプト記」についてよく話していた。[83]
言語

台湾の同世代に顕著なことだが、かつて政府の要職を経験していながら一番得意とされる言語は日本語といわれる。それについで台湾語英語となり、一番苦手なのは北京語で、非常に台湾訛りが強い。北京語で質問されると、それを日本語に訳して意味を理解し、日本語で回答を考えてから北京語に訳すという、日本人と同様のプロセスで返答していたことから、外省人の記者たちからは「李登輝の北京語は、どうしてあんなにめちゃくちゃなのか」と言われていた[31]。この不得手さを逆手にとって、宋美齢の側近に「宋美齢の北京語は浙江訛りが強いため、今後用件は文書で送付するように」と要請、発言を記録化し宋美齢の権力を失墜させた。

上記のように、日本文学を多く読み、岩波文庫の蔵書数を誇ったり、日本のオピニオン雑誌『中央公論』『文藝春秋』を愛読するなど、情報処理や思考の面で多く日本語が介在したとされる。そのため、記者会見など公の場でも特定の単語を日本で使用される呼称をそのまま現地語で発音することがあり、台湾では「波斯(ペルシア)湾戦争」と表記される湾岸戦争を「湾岸戦争」のまま中国語読みしていた例も確認されている[84]。文恵夫人を日本語読みで「フミエ」と呼ぶこともある。

なお、娘たちの学習は自由意志に委ねており、2人とも本格的な日本語教育を受けず英米に進学した[31]
否定的な評価

康定級フリゲートの購入や党の資金を使った投資プロジェクトからのキックバックなど、金銭をめぐる疑惑が少なからずあった[85]。自身の影響力を維持するため党内に金をばら撒いたり、選挙で優位に立つため暴力団を頼ったりした事もあったとされる[86]。これらの裏金は国外への工作にも使用され、国交維持を目的として南アフリカ共和国に巨額な資金提供が行われたほか、日本の橋本龍太郎、アメリカのカート・キャンベルポール・ウォルフォウィッツなどがロビー活動の対象として挙げられている[85]

2000年の総統選挙では、ともに改革に取り組み党内で辣腕を振るった宋楚瑜を排し、与し易い連戦の擁立に固執した。宋楚瑜は無所属で立候補して連戦と票を食い合い、民進党の陳水扁を利することとなった。結果政権交代となり、後に登輝自身も党主席辞任を余儀なくされた。その後の登輝は国民党批判を公然と行い、その変節ぶりと政治関与の継続は批判の的となった[50][87]

皇民化教育を受け旧日本軍に従軍した経験、靖国神社を参拝するなど台湾人でありながらも日本人としてのアイデンティティを持った彼は同じ台湾の人間からも批判される。また本省人アイデンティティに傾倒し他のエスニックグループから反感を買った[87]

台湾原住民タイヤル族の立法院議員である高金素梅は「帝国国民として生きた人はアイデンティティ、歴史、文化の深刻な矛盾を抱えている。死ぬまで気づかない人、それを誇りに思う人、植民地支配に向き合う人がいる。原住民は向き合い文化の復興をしているが李登輝は皇国史観のままである。韓国の大統領であった盧泰愚は朝鮮人軍人の名簿を探し彼らが軍国主義の礼賛に使用されている事を明らかにした。李登輝は日本保守の駒であり台湾にとっての悲劇だ。」と反軍国主義の立場で彼を批判した[88]
家族

妻 - 曾文惠
(中国語版)(1949年結婚)

長男 - 李憲文(1982年死去)

孫娘 - 李坤儀([1])


長女 - 李安娜

次女 - 李安?(中国語版)

日本との関係
言動

親日の政治家・言論人として知られる。産経新聞連載「李登輝秘録」の取材で、同紙記者が台北郊外の李登輝宅を訪れたとき、李登輝は右手を首まで水平に持ち上げ、「僕はここまで、22歳まで日本人だったんだ」と発言している[89]。 日本の親台派からは、その親日ぶりが高く評価されている。先述(文学・思想)のように、日本の漫画の登場人物江田島平八コスプレをするなど、日本のエンターテインメントにも関心を寄せている。

李登輝は、日本統治時代に台湾人が学んで純粋培養されたのは、「勇気」「誠実」「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった「日本精神」であり、国共内戦後に中国大陸から来た国民党は、自分たちが持ち合わせていない価値観だったので、「日本精神」を台湾人の持ち合わせている気質だと定義して、これらの言葉が広まり、台湾に浸透した「日本精神」があったからこそ、台湾は中国文化に?み込まれずに近代社会を確立できたのであり、台湾人の親日の背景にはこうした歴史的経緯があると述べている[90]。また李登輝は、日台は現在のところ正式な外交関係がないため、経済文化交流を強化すれば良いという意見が多く、経済・文化交流を促進して、日本人と台湾人の心の絆を深めることは重要であるが、日本人が中華意識に囚われて台湾を軽視した場合、日本は地政学的危機に陥ってしまい、まさしく日台は生命運命共同体なのであり、このことを日本人は常に意識して欲しいとしている[56]

台湾における教育改革にも心を砕き、「(国民党政権の)反日教育をやめさせ、台湾の子供たちに正しく日本と日本人を理解させなければ」と考え、1996年には新たな中学の教科書「認識台湾」を作らせた。それ以前の教育では大中華主義の歴史観で台湾の歴史や地理は教えず、また日本統治時代は一律に否定していたが、李登輝は戦前に普及した教育の制度やインフラ建設など日本の功績を認める記述を取り入れ、その結果、若い世代が日本に親しみを感じる傾向が強まったという[89]

靖国神社問題では2007年5月末から6月初旬にかけて訪日した際、日本外国特派員協会で開かれた記者会見で「“靖国問題”とは中国とコリアがつくったおとぎ話」と発言した。

台湾も領有権を主張する尖閣諸島を「沖縄県に属する日本固有の領土」であるとし[91]、2008年9月24日には訪問先の沖縄で再び日本領土だと発言した[92]。また、「おネエちゃんがきれいだからといって、私の妻だと言う人間がどこにいるのだ」「尖閣諸島周辺はよい漁場で、沖縄の漁民はかつて、同漁場でとった魚を台北に売りにきた。沖縄県当局は、日本が統治していた台湾の台北州に尖閣諸島周辺の管理を委託していただけ」「第二次世界大戦後、沖縄の行政権はアメリカが掌握し、その後、日本に返還された」「日本の自衛隊が、この海域の防衛に責任を持つことになったが、台湾の漁民は(尖閣諸島周辺で)操業することが習慣になっていたことから問題が発生した」「1972年になってから『尖閣諸島は中華民国領』と主張したことで、問題が発生した」「台湾が他人の場所に行って、魚がとれただけでも上出来だった。それを自分の『戸籍』に入れようとは、あまりにも幼稚」と、台湾が尖閣諸島の領有権を主張していることを皮肉ったという。李登輝の発言に対して中国のインターネットユーザーは、李登輝の発言の記事を掲載したサイト「環球網」にて、李登輝を「日本の犬」「売国奴」「まだ死んでいないのか」「特殊工作員を送り、一族皆殺しにして、子孫を根絶やしにしろ」などといった、李登輝に対する罵詈雑言が飛び交っているという[93]。『文藝春秋』のインタビューで李登輝は「前にも言ったように、尖閣諸島は日本の領土だ。日本は道理に合わないことを言う中国に譲歩する必要はない」と語ったことについて、李登輝の発言に対して台湾当局関係者が即座に反駁し、台湾総統府の羅智強(中国語版)報道官は「李登輝氏の尖閣諸島は日本領という発言は歴史事実に反し、しかも国家主権を侵害している」、国民党の邱毅は「李登輝氏の政権はとっくの昔に終わったのだ。いつまでも発言するな!」と強く批判した。2013年5月日本政府による尖閣諸島国有化について、「(中国は)周辺国への内政や領土干渉を繰り返すことによって、自分たちの力を誇示しているのである。こうした中国の動きを説明するのに、私は『成金』という言葉をよく使う。経済力を背景に、ベトナムから西沙諸島を奪い、南沙諸島フィリピンが領有していた地域に手を出し、そして日本領土である尖閣諸島の領海、領空侵犯を繰り返す中国は、札束の力で威張り散らす浅ましい『成金』の姿そのものである。


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