官の上下関係は、中国に倣った官品制をとる。それぞれの官には対応する品が定められ、品は一品を最上位とし、以下、二品、三品、と一品から九品までの九階に分かれていた。各品には正と従の区別があり、正一品の官が最上位、従九品の官が最下位となる。その中で正三品は堂上と堂下に分かれ堂上官は王宮に上がり王と対面する事が可能だった。一般的に高官と呼べるのは従二品以上であり、品階により、住居・衣服(?従三品:赤官服、正四品?従六品:青官服、正七品?:緑官服)・乗り物などに差が付けられていた。これらの官職は常時改変が為されていたが正式にまとめられた形で出てくるのは世祖時代の『経国大典』による。
官は、大きく内府である女官の内命婦、外府である京官職および外官職に分かれる。また、王族女子・功臣・文武官の妻に対する官位(外命婦に属す)もあるが、名目上のものであった。それ以外では、中国からの使節の応対を行う非常勤職の名誉職奉朝賀、宮殿の内侍を行う内侍府(大抵、宦官が職務に付き王の身の回りの雑務を行う)、雑役に従事する雑職などがあった。
王朝に仕える諸官は科挙を通じて、文官は文科、武官は武科によって選抜され、武官は文官に比べて常に地位が低く置かれていた。また中人階級が就ける技術職は更に下に位置し、雑科によって選抜された。特に李氏朝鮮初期の王子達の私兵による争いの後は、武官・軍事に関しては厳しく管理されていた。また、各官府には官職・官位の上限があり、決められた品以上に就くことは出来なかった。
王族は宗室と呼ばれ、自動的に京官職の宗親府に属する。宗室も一般の官と同様に正一品が最上位になるが、王の子(大君・王子君・公主・翁主)は位階制度の上にあって品を持たない。最も上の官職は君と呼ばれ、正一?従二品が与えられる。外戚や功臣なども忠勲府に属し、最高位を正一品とした官職が自動的に与えられた。忠勲府の最高位は府院君であり、次が君である。従って君と言う称号は王子・王族の事を差す訳ではない。
行政の最高機関は議政府であり、基本的に文官のみが付くことが出来た。議政府の最高位は正一品の領議政であり、その下に同じく正一品の左議政と右議政が居た。他の正一品の官職には各院・各府の都提調・領事などがある。
議政府の次に位置するのが正二品の判書であり六曹の大臣やその他の官衙長官の職務を担当し、判書を補佐するのが従二品の参判や、正三品堂上の参議であった。
また、功臣の子弟や外戚は成年すると自動的に忠勲府や宗親府に配された為に科挙を受けなくても官品を受けることが可能であり、まず役職を授かってから科挙を受け、官僚になることが多かった。
地方行政朝鮮八道
朝鮮八道という、大きく8つの道に分けて行政を行った。
朝鮮八道
咸鏡道 (咸鏡北道・咸鏡南道・両江道の一部・羅先特別市 北朝鮮)
平安道 (慈江道・平安北道・平安南道・両江道の一部・平壌直轄市・新義州特別行政区 北朝鮮)
黄海道 (黄海南道・黄海北道 北朝鮮)
江原道 (江原特別自治道 韓国 / 江原道・金剛山観光地区 北朝鮮)
京畿道 (京畿道・ソウル特別市・仁川広域市 韓国 / 開城特別市・開城工業地区 北朝鮮)
忠清道 (忠清北道・忠清南道・大田広域市・世宗特別自治市 韓国)
慶尚道 (慶尚北道・慶尚南道・釜山広域市・大邱広域市・蔚山広域市 韓国)
全羅道 (全羅北道・全羅南道・光州広域市・済州特別自治道 韓国)
現代の北朝鮮・韓国の行政区分もこの朝鮮八道を元にしている。また、首都漢城と開城・江華・水原・広州の4都は直轄地とされ京官府に属し、漢城は漢城府が、四都は各府の留守職がこれを治めた。
統治の特徴詳細は「李氏朝鮮の身分制度」を参照
朝鮮時代の特徴は500年の長きにわたって続いた儒教道徳、その中でも朱子学に基づく統治である。これは身分制度を強固なものとし、差別意識を助長したり、数多くの派閥抗争を引き起こし、かつ対抗派閥への攻撃の大義名分などの手段として使われ、さらに技術・労働階級の蔑視による技術発展の阻害、軍事の弱体、愚民化や現実に沿わない外交、内政を支配者に行わせる原因となった。その一方で儒教は高麗末期の腐敗仏教を打破し、また王朝後期には革新思想が生まれてきたように知識人が政治や社会の変革を考える要因ともなった。儒教の影響力がかなりの程度減じた現在の韓国・北朝鮮でも、このような儒教の二面性は形を変えつつ存続しているとされている。
日本の統治下で育った韓国の朴正煕元大統領は自著『国家、民族、私』で、朝鮮について次の言葉を遺している。
「四色党争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって、後世の子孫まで悪影響を及ぼした、民族的犯罪史である」
「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」
「今日の若い世代は、既成世代とともに先祖たちの足跡を恨めしい眼で振り返り、軽蔑と憤怒をあわせて感じるのである」