日本や中国では朝鮮半島にかつて存在した朝鮮を国号に持つ王朝と区別する為に「李氏朝鮮」あるいは「李朝」と呼ぶことが多い。学術的には日本でも近年は大韓民国の意(後述)を汲んだ歴史学者を中心に「朝鮮王朝」という呼び方が広まりつつある[注釈 5]が、この呼び名は広義には「朝鮮半島」の「王朝」という意味にも理解されるため李氏朝鮮だけを特定して指すには不適切だとする意見もある。
大韓民国では、「李氏朝鮮」「李朝」と言う名称は植民地史観に基づくものとされることと「朝鮮」「朝鮮人」と呼ばれることに差別的意味合いを感じること[15] 、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)と国家の正統性を争っているなど、複数の理由により「朝鮮」という呼称をこの時代に限定したいという意図から国内では一般的に使用されていない。通常、李氏朝鮮が統治していた国は「朝鮮」、李氏朝鮮の王室は「朝鮮王朝」と呼ぶ。古代に存在した朝鮮の国号を持つ国は古朝鮮と呼び区別し、他国、特に日本に対してもそのように呼ぶように求めている。また現在「朝鮮」という国号を使用している北朝鮮には「韓半島(朝鮮半島)の唯一合法的な政府」と主張する立場から北朝鮮を承認していないため「北韓」という呼称を使用している。北朝鮮では今日の朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)および古朝鮮と区別するために「朝鮮封建王朝」[16][17](??????[18])、「李朝朝鮮」あるいは「李氏朝鮮」と呼び、王朝名称として「李王朝」(???)[19]あるいは「李朝」を用いる[20]。中国においては日本と同様「李朝」という用例が見られる。李鴻章編『通商章程成案彙編』(1886年)収録「大C國屬 高麗國旗」
当初より中国王朝の冊封国として建国された朝鮮だが、近代に入ると冊封体制からの離脱を指向する動きから大朝鮮国の国号も用いられた。また、李鴻章が編纂させた『通商章程成案彙編』には、古い太極旗が収録されているが、それには「大清国属高麗国旗」と書かれている[21][22]。1897年、国号を大韓帝国(だいかんていこく)と改称し、国王号を皇帝号に改めた。 朝鮮の歴史は、国内政治的には、建国から端宗までの王道政治の時代(1393年 - 1455年)、世祖の王権簒奪から戚臣・勲臣が高官をしめる時代(1455年 - 1567年)、士林派による朋党政治(1567年 - 1804年)、洪氏・安東金氏・閔氏などの外戚による勢道政治(1804年 - 1910年)の区分に分けられる。 一方、対外関係を主体にみると、約500年に及ぶが明の朝貢国であった時代(1393年 - 1637年)と、丙子胡乱による敗北から下関条約による独立獲得まで清へ服属させられていた時代(1637年 - 1894年)、ロシア帝国の南下政策で日露が朝鮮半島に対する影響力をめぐって対立した末期(1894年 - 1910年)という3つの時代区分に大きく分けられる。
歴史
時代区分
国内政治における区分
対外関係における区分