李宗仁
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李宗仁・白崇禧は、広西統治において「三自三寓」[3]政策を実践し、軍事・内政・財政など様々な方面で改革に大きな成果をあげている。
日中戦争での指揮

1937年日中戦争勃発とともに、李宗仁は第5戦区司令長官に任ぜられ、津浦線の防御を担当した。1938年1月には、安徽省政府主席も兼任し、これにより安徽省も新広西派の影響下に置かれることになる。

李宗仁は第5戦区司令長官を6年間つとめ、日本軍との戦いでの指揮は優れたものであった。指揮下にあった張自忠孫連仲孫震盧漢らが徐州方面で好戦績を収め、台児荘戦役などで戦果を挙げたことが、その例である。1943年9月、軍事委員会委員長漢中行営主任に転じた。
初代中華民国副総統・代理総統初代副総統に就任する李宗仁(右)、中央は総統の?介石(1948年5月20日

日中戦争勝利後、李宗仁は軍事委員会委員長北平行営主任(1946年9月、国民政府主席北平行轅主任に改組)に任じられ、共産党との戦いを開始する。1948年中華民国副総統選挙に出馬し、白崇禧らの支持を得た李宗仁は?介石が推す孫科を破って副総統に当選した。

1949年1月、?介石が国共内戦不利の責任をとって総統を辞任すると、李宗仁が総統代理に就任し、共産党との和平交渉を開始する。同年4月1日、張治中を代表とする共産党との和平交渉団を首都の南京から北平に派遣して北平和談(中国語版)を行い、交渉団が最終案である国内和平協定を持ち帰ってきた。しかし、国民党は4月20日に和平協定への調印拒否を決定し、共産党に調印拒否を通告する電報を送ったために交渉は決裂した。その結果、3日後の4月23日には交渉決裂を受けて起きた渡江戦役人民解放軍によって中華民国の首都南京は陥落して南京の総統府も占領されてしまった。

1949年10月に内戦も毛沢東中華人民共和国が成立する結末を迎える。11月、李宗仁は香港へ逃亡し、さらに12月にはアメリカ合衆国へ亡命した。李宗仁は当時のアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンに台湾に逃れた?介石の打倒を訴えて台湾をアメリカ合衆国51番目の州にすることも提案した[4][5]

一方、李宗仁の逃亡によって空席となった代理総統の職務は憲法49条の規定に基づいて行政院長閻錫山が代行し、国民党とともに台湾へ渡った?介石が1950年3月1日に総統への復任を宣言するまで務めた。そして、1954年3月の総統選挙に際して、台湾に帰国しない李宗仁を国民大会で副総統から解任した[6]
晩年毛沢東と共に天安門の楼上に立つ李宗仁(1966年10月1日)

その後、李宗仁は秘書の程思遠(中国語版)を介して中華人民共和国と水面下で接触しつつ[7]、アメリカで中国情勢を見守っていた。しかし妻の郭徳潔が末期の乳がんと診断され、1965年7月、帰国を決断して妻と北京入りし、毛沢東ら中華人民共和国の首脳から歓迎を受けている。1966年3月に郭徳潔は北京で死去した。

1969年1月30日、北京で死去、郊外の八宝山革命公墓に埋葬された。享年80(満78歳)[8]
脚注^ 李静之「李宗仁」『民国人物伝 第7巻』は、9月23日に陸栄廷が全州で下野を宣言した、との説を採っている。しかし陸栄廷の下野時期についての有力説は、10月9日、湖南省永州において、である(莫済杰・陳福林主編 『新桂系史第1巻』、59-74頁;黄宗炎「陸栄廷」謝本書主編『西南十軍閥』、76頁)。これは、『申報』1924年10月23日記事、黄紹рフ回顧録『五十回憶』等の裏づけがある。
^ 統一完了時期については諸説ある。例えば莫済杰・陳福林主編 『新桂系史 第1巻』、96頁は、1925年7月に雲南軍を撃退した時点を統一完了時期と見ている。また、胡啓望・項美珍「黄紹пv『民国人物伝 第12巻』、132頁は、黄紹рェ広西省民政長に就任した同年9月を統一完了時期としている。一方、当事者の間でも見解が割れている。李宗仁は、やはり7月で統一完了と見ているが(『李宗仁回憶録』、178頁)、黄紹рヘ、1925年年末に省内敵対勢力を掃討し終わった時点を、統一完了と見ている(『五十回憶』、109頁)。
^ 「三自」とは、「自衛・自治・自給」を指し、「三寓」とは「寓兵于団(軍政一致と民兵強化、すなわち全民皆兵を指す)・寓将于学(軍幹部教育と初中等以上の学校での軍事訓練)・寓徴于募(募兵制と徴兵制の混合)」を指す。郭緒印主編『国民党派系闘争史』上海人民出版社、1992年、341-343頁。
^ 李守孔. 《中國現代史》. 台北: 三民書局. 1973. ISBN 9571406635. p.176
^ "CHINA: Return of the Gimo". TIME Magazine. Monday, Mar. 13, 1950.
^ 全國政協文史資料委員會編:《文史資料選輯》第140輯,北京:中國文史出版社,2000年2月,ISBN 978-7-5034-1065-9 p.2
^ 全國政協文史資料委員會編:《文史資料選輯》第140輯,北京:中國文史出版社,2000年2月,ISBN 978-7-5034-1065-9 p.5-6
^ 全國政協文史資料委員會編:《文史資料選輯》第140輯,北京:中國文史出版社,2000年2月,ISBN 978-7-5034-1065-9 p.27-28

参考文献

李静之「李宗仁」
中国社会科学院近代史研究所『民国人物伝 第7巻』中華書局、1993年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 7-101-01052-0。 

李宗仁口述、唐徳剛撰写『李宗仁回憶録』広西人民出版社、1988年。ISBN 7-219-00473-7。 

黄紹пw五十回憶』岳麓書社、1999年。ISBN 7-80520-968-5。 

莫済杰・陳福林主編『新桂系史 第1巻』広西人民出版社、1991年。ISBN 7-219-01885-1。 

徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。 

劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。 

中華民国

先代
陸栄廷(広西辺防督弁)広西善後督弁
1924年11月 - 1925年7月次代
(廃止)

中華民国

先代
(創設)軍事参議院院長
1928年10月 - 1929年5月次代
唐生智

先代
?作賓安徽省政府主席
1938年1月 - 9月次代
廖磊

中華民国

先代
(創設)副総統
初代
1948年5月 - 1954年3月次代
陳誠


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