李克強
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最後に公に姿を見せたのは2023年8月31日に甘粛省敦煌市莫高窟を訪問した際のことで、市民や観光客に対して笑顔で手を振って応対したが[4]、現場にいた国営メディアが訪問を報じることはなかった[31][32]。同年10月下旬頃より上海で療養し[33]、10月27日0時10分(日本時間1時10分)に心臓発作のため搬送先の上海にある上海中医薬大学附属「曙光医院」[34]で死去した。68歳没[35][36]。香港のメディアは宿泊していた上海の高級ホテル・上海東郊賓館(中国語版)で水泳をしていた際に心臓発作を起こしたと報じ[37]、この情報は中国国内で新浪微博を通じて拡散されホテルは宿泊予約サイト上で11月上旬まで営業を停止すると発表するなど対応に追われた[38]。唐突な訃報は中国国外でも速報で伝えられたが[39][4]、中国国内では李克強死去を報じるNHK海外放送のニュース映像が一部遮断された[40]。遺体は11月2日に八宝山革命公墓にて火葬され、葬儀場には習近平を含む党最高指導部7人全員が訪れ弔意を示したが、胡錦濤元総書記は花輪を贈るにとどめ出席はしなかった[41]
人物

部下を決して怒鳴りつけることはせず、公私で他人の悪口を言わず、周囲に常に笑顔を見せているという。共産主義青年団にいた頃は胡錦濤と行動を共にすることが多く、胡錦濤は李克強の人柄を見込んで青年団書記候補に抜擢した。青年団時代の幹部によると「李克強は敵を作らない」という。学校部長であった頃にある部長との意見の相違で対立したことがあり、李克強が中央第一書記になると、その部長は報復を恐れていたが、ある日、李克強は彼を呼び寄せ、人事異動の際に彼の昇格を伝え、新しい官舎の鍵を渡したという
[42]

元来あまり身体が丈夫でなく、腎臓肝臓疾患糖尿病を患っていると報じられたことがある[43][44][45]。2023年10月27日に急死した際には死因は心臓発作と発表され、心臓に関する持病があったかどうかは不明だが、過去に冠動脈バイパス手術を受けた経歴があったと消息筋は伝えている[32][46]

2022年に李克強よりも高位の役職にあった江沢民元国家主席が死去した際には、北京の在中国日本大使館は半旗を掲揚しなかったが、対外関係を重視した李克強は日本との関係も深く、「日中関係発展のために長きにわたり重要な役割を果たした」との評価があり、垂秀夫中国大使による「前例にとらわれるな」という考えのもと北京では日本大使館だけが最大限の追悼を示す半旗を掲げ、急死した李に哀悼の意を示した[47][48]

家庭

程虹夫人は首都経済貿易大学の英文科教授。2014年5月に外交デビューを果たした[49]。二人の間に一女がいる。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 中国共産党の公式発表では、胡錦濤の戸籍地は安徽省績渓県であるが。しかし、実は江蘇省泰州市出身[6]

出典^李克?同志生平 ? 新華通信社
^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
^ 中国の李克強前首相が死去、68歳 現地報道「上海で休養中に急変」.朝日新聞社
^ a b c d e f “中国・李克強前首相の突然の訃報に国内衝撃 8月には観光客に笑顔も”. 毎日新聞デジタル. (2023年10月27日). https://mainichi.jp/articles/20231027/k00/00m/030/097000c 2023年10月28日閲覧。 
^ 張丹紅 (2007年10月22日). “十七大閉幕:陳規俗矩下的依稀曙光(中国語)” (中国語). コ国之声. ⇒オリジナルの2011年2月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110203145943/http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2834764,00.html 2007年10月22日閲覧。 
^中共??人的?愁:胡?涛34年未??.央視網
^ “池田大作氏、李克強首相に友誼の漢詩を贈る”. (2018年5月14日) 
^ “日中韓サミット・日韓首脳会談・日中首脳会談等”. 首相官邸. (2018年5月9日). https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201805/09jck.html 2018年5月10日閲覧。 
^ (高橋 & 21世紀中国総研 2009, p. 730)。
^“國師肢ネ寧教李克強李源潮”. 蘋果日報. (2013年3月16日). ⇒http://hk.apple.nextmedia.com/international/art/20130316/18197062 2017年4月22日閲覧。 
^ “李首相、知日派の顔も=若手時代に交流経験?日中韓”. 時事通信. (2018年5月10日). https://web.archive.org/web/20180510184542/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018050800765 2018年5月10日閲覧。 
^ “中国共産党大会 権力闘争の全内幕”. WEDGE Infinity. (2012年11月12日). https://wedge.ismedia.jp/articles/-/2382 2019年10月23日閲覧。 
^ “【国際情勢分析】習路線へかじ切る外交”. 産経新聞. (2010年12月5日). https://web.archive.org/web/20110202093303/http://sankei.jp.msn.com/world/news/110114/chn11011401140001-n1.htm 2011年1月27日閲覧。 
^ 「 ⇒中国共産党第18期中央委員会第1回全体会議コミュニケ」人民網日本語版、2012年11月15日付配信記事(2012年11月29日閲覧)。
^ 「 ⇒中国新首相予定の李氏、『改革開放』決意を強調」『読売新聞』2012年11月23日付記事(2012年12月7日閲覧)。
^ 川越一「李克強氏を首相に選出 習・李体制本格始動」『産経新聞』2013年3月15日付記事(2013年3月17日閲覧)。
^ 川越一「中国新内閣が発足 新外相に元駐日大使の王毅氏」『産経新聞』2013年3月16日付記事(2013年3月17日閲覧)。
^ “李克強氏、静かに首相退任 習氏に嫌われた秀才―中国”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2023年3月12日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2023031100396&g=int 2023年3月26日閲覧。 
^ a b “「独裁者」習近平の陰に隠れた「最弱」首相...それでも改革を貫いた李克強が遺したもの”. ニューズウィーク. (2023年3月8日). https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2023/03/post-101041.php 2023年3月26日閲覧。 
^ “「リコノミクス」で注目された李克強氏、存在感低下させ最後の首相記者会見”. 読売新聞. (2023年3月11日). https://www.yomiuri.co.jp/world/20220311-OYT1T50271/ 2023年3月26日閲覧。 
^ “李克強・中国国務院総理の訪日 日中首脳会談及び晩餐会”. 外務省. (2018年5月9日). https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page1_000526.html 2018年5月10日閲覧。 
^ “日中首相会談の要旨”. 日本経済新聞. (2018年5月9日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3027991009052018PP8000/ 2018年5月9日閲覧。 
^ “陛下、初訪中時に「温かい歓迎、懐かしく」 中国の李克強首相とご懇談”. 産経ニュース. (2018年5月10日). https://www.sankei.com/article/20180510-RMTSI7SMKNJOFG7JE27YJZNXNQ/ 2018年5月10日閲覧。 
^ “日中知事省長フォーラムに安倍晋三首相と中国の李克強首相出席”. 産経ニュース. (2018年5月11日). https://www.sankei.com/article/20180511-K7N7Y3NYQZID7NAVR2SLNJKCBM/ 2018年5月11日閲覧。


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