杉良太郎
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1970年代、多数の作品への出演による多忙でTV放送をオンタイムで視聴できなかったため、高価だったUマチックデッキとテープを当時の給料から無理して購入し、自身の出演作品を録画視聴していた。その中にはNHKには映像が保存されていなかった大河ドラマ「国盗り物語」や朝ドラ「繭子ひとり」もあり、2015年にNHKへ提供された。

俳優の長谷川一夫が、自身の晩年の時に自ら、杉を「二代目長谷川一夫」として指名したことがある。長谷川一夫の名を二代目として誰が継ぐのか注目が集まり、関係者の間では継ぐのは大川橋蔵かと目されていたことがあったが、長谷川が実業家の松尾國三に「二代目は杉良太郎」と語り、杉はそれを松尾から伝え聞かされた。しかしそこで「杉良太郎のままで死なせてください」とその話を断っている。その後1984年に長谷川が亡くなり、葬儀の際でも長男の林成年から自分よりも杉が先に焼香を、と強く勧められたほどである[17]

東日本大震災原発事故を起こした福島第一原子力発電所Jヴィレッジ」に事故後、芸能人で初めて入り、激務に追われる所長や作業員達を慰問した。

2019年に高齢運転者による自動車事故が相次いでいることを受け、高齢運転者に運転免許証の自主返納について考えてもらうきっかけ作りとして、6月7日に鮫洲運転免許試験場運転免許証を自主返納した。返納時点での杉の年齢は74歳で、75歳の誕生日(後期高齢者)を迎える2か月前だった[18]

自身の体力面(長年の酷使によって椎間板ヘルニアを悪化させ「自分が望む座長芝居が出来なくなった」との理由)から、2005年7月の新歌舞伎座での公演を最後に、自らの座長公演を勇退した後は、若い役者が座長を務める公演に脇役で出演しどんどんアドバイスを出していきたいとの考えを表明。2008年10月には大阪新歌舞伎座で山本譲二山川豊主役に迎えた初のプロデュース公演『闇の身代り地蔵』を上演した。また、2009年6月の大阪新歌舞伎座さよなら公演では、息子の山田純大を主役に迎え、初の親子共演を果たす。新歌舞伎座で松平信康切腹を演じた時には千秋楽に本当に腹を切りたくなり、豚の臓物と血もたっぷり入れた袋を腹に巻いて、その上からさらしを巻き、白装束を着て舞台に立ち、本物の短刀を突き刺した[19]。杉は「血が噴き出て、客席がシーンとなり、短刀を右へ斬ったら、腹から豚の腸が一気に噴出し、自分が倒れたところで緞帳が下りたから会場はパニックになった」と述べている[19]

伊東四朗岡田英次青木義朗福本清三赤塚真人うえだ峻本阿弥周子らは、1980年代から1990年代の杉の主演作に出演をしている。『同心暁蘭之介』25話では福本清三のために杉が役を用意し、福本も初めての大きな役だったと自伝『おちおち死んでられまへん-斬られ役ハリウッドへ行く』で述べている。また、親友であった江利チエミもゲストで『同心暁蘭之介』に出演した。

1991年頃から、風景画を中心に油彩画を描き、現代美術展で入賞。百貨店などで絵画展を開催。

2007年5月1日、長女に第1子となる男児が誕生し、おじいちゃんとなるが、本人は会見で「孫には『お兄さん』と呼ばせる」と宣言した。

社会貢献

デビュー前だった15歳でボランティア活動を始める。

日本の刑務所への受刑者慰問活動により法務省から「名誉矯正監」を拝命。2008年(平成20年)「特別矯正監」を法務大臣より任命される。長年にわたり、刑務官・受刑者に対し、多くの意見交換・講演などを行っている。2019年6月25日、大臣顕彰状が法務大臣から贈られ、特別矯正監も委嘱された [4]。米国の「チャリティー王」であるボブ・ホープは「あなたは日本のチャリティー王だ」と杉を称賛する。いままでに投じた私財は数十億円以上に及ぶ[3]

日本ベトナム社会主義共和国との親善にも20年間たずさわっている。ハノイ市等に教育施設(日本語学校等)の設置、無償援助に関わりベトナム政府から特別友好大使を委託されている。1997年(平成8年)12月には、ベトナム社会主義共和国国家主席チャン・ドゥック・ルオンより、友誼勲章(外国人に贈る最高位の勲章)を受章し、2019年10月30日には3等級労働勲章を受けた[20]ベトナム人里子は152人である[3]

1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、大型ヘリコプター2機をチャーターし、被災者避難所へ1000人分の巻き寿司や飲料水、医薬品、衣料等2トン分の救援物資を緊急空輸し、自らも作業服を着用し長靴で被災地に赴き被災者の救援活動した。

5月24日、26日、日越外交関係樹立35周年記念行事の一つとして行われた、日本およびベトナムの歌手による「日越友好ハノイ?ホーチミン音楽祭(第1回日越友好音楽祭)」を、日越特別大使兼越日特別友好大使として主導した[21]

2009年平成21年)2月皇太子徳仁親王ベトナム社会主義共和国公式訪問では、現地での案内説明にたずさわる。

平成22年度、内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」に就任[22]

2011年平成23年)3月11日に発災した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)を受けて、被災地への支援活動を開始。救援物資を載せた車両12台を手配し[23]、自ら炊き出しを行った[24]。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で実家が被災し、以降被災地への支援活動を継続的に行なっており、2004年(平成16年)の新潟県中越地震でも精力的な活動を行なっている[25]。また地震で被災し全体の2/3が不通となっている三陸鉄道の復旧支援ヘッドマークのオーナー(名義としては個人事務所の杉友となる)となり、2011年9月28日よりマークをつけた列車の運行が開始されている[26]

10月8日、10月9日、ベトナム・ハノイ市で開催された「第2回日越友好音楽祭」を主導した[27]

2012年(平成24年)4月26日、福島第一原子力発電所事故福島第一原子力発電所現場作業員の拠点となっている、福島県双葉郡のサッカー練習施設「Jヴィレッジ」を、伍代夏子と共に訪れ、激励コンサートを開いた[28]

2012年5月1日、日本財団により、伍代夏子とともに「被災地で活動した芸能人ベストサポート」で表彰された[29]。車両15台でカレー、サラダなど2万食の食事と入れ歯洗浄剤などの物資を届け、宮城県内の避難所を細かく廻り、また、岩手県の三陸鉄道や青森県の津軽鉄道支援、福島県も何度も訪れるなど、様々な支援を続けた[30] 活動が評価された。

2012年11月19日、オーストリア・アルベルト・シュバイツァー協会(ドイツ語版)(ドイツ語: Osterreichische Albert Schweitzer-Gesellschaft、略称: ドイツ語: OASG、英語: Austrian Albert Schweitzer Society)より「アルベルト・シュバイツァー章」受章[31]

2013年平成25年)2月25日、ASEAN特別大使に任命され[32]2014年平成26年)2月10日にアジア各国との文化交流に貢献したとして内閣総理大臣感謝状を安倍晋三から手交された[33]

2013年11月にフィリピンを襲った、台風ヨランダでは、チャリティコンサートを企画し、 ⇒認定NPO法人アイキャン を通じて、現地に学校を建設した。

2018年11月に国家公安委員会委員長より特別防犯対策監に任命され、特殊詐欺被害防止のためのプロジェクトチーム「SOS47」を著名人らに呼びかけ結成した[34]
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