杉浦茂
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注釈^著作権台帳』第二十六版、日本著作権協議会、2001年によれば3月31日生。
^ こういった美術研究所は、経済的事情で美術学校に行けないが画家を志す若者の受け皿になる施設となっていた。
^ このころの絵は1945年(昭和20年)の東京大空襲により焼けてしまってほとんど残っていない。
^ この絵は兄の知合いで大阪で病院を経営する医師が購入した。「杉浦茂インタビュー」『彷書月刊』1994年3月号、pp.5,8.
^ 田河も杉浦と同じく芸術家を経て漫画家となった経歴を持っており、村山知義主催の芸術集団MAVO にも参加していた前衛芸術家であった。
^ さらに後には長谷川町子も同門に加わる。戦前の弟子はこの三人ですべて。
^ 2人は杉浦が洋画の道を目指していたときに知り合ってからの仲だった。
^ 杉浦まんが研究『まるごと杉浦茂』186ページには『こどもマンガ新聞』とある。
^ 最終的に少年少女向け雑誌は六誌だけとなった。『少年?楽部』(大日本雄弁会講談社(現講談社))、『少女?楽部』(同)、『少国民の友』(小学館)、『良い子の友』(同)、『日本のコドモ』(国民図書刊行会(現チャイルド本社))、『週刊少国民』(朝日新聞社)である。
^ 「オテツダヒブタイ」『講談社の絵本』大日本雄弁会講談社、1940年11月15日刊が最後。
^ 1943年出版の『北ノ人達』国華堂日童社刊が最後。
^ ここでは線画部長として山本早苗(山本善次郎)が、次長として西倉喜代治が働いていた。
^ 2014年現在の玉名市立梅林小学校
^ この連載は、『続猿飛佐助』として『おもしろ漫画文庫』の 1巻にまとめられた。
^ 原作はアメリカ合衆国の作家ジェイムズ・フェニモア・クーパー1826年に発表した同名小説
^ 原作は1954年の東宝映画『ゴジラ』(本多猪四郎監督)。
^ 原作は『ゴジラ』の続編にあたる1955年の『ゴジラの逆襲』(小田基義監督)。
^ 『スタミナドンちゃん』『少年ブック』1967年正月臨時増刊号)。
^ 1981年には、中野書店から『杉浦茂傑作選集』(全 4巻と別巻 1冊)、1987年から1988年にかけて、ペップ出版から『杉浦茂ワンダーランド』(全 8巻と別巻 1冊)、1993年から1996年に、筑摩書房から『杉浦茂マンガ館』(全 5巻)がそれぞれ出版された。
^ 『マンガ館』第5巻は絶版だが、この描下ろしは、2009年(平成21年)に刊行された選集、『イエローマン:杉浦茂シュールへんてこりん傑作選』エンターブレイン ISBN 978-4-7577-4902-3 で読める。
^ 以降も年賀状などにイラストを描いてはいる。
^ 杉浦茂:自伝と回想 p.86、杉浦まんが研究『まるごと杉浦茂』 pp.188 - 189には、1952年に斉藤、藤巻両者の入門とある。

出典^ 杉浦茂:自伝と回想 p.194
^ 杉浦茂:自伝と回想 p.164
^ a b 杉浦茂の摩訶不思議世界:へんなの p.80
^ 杉浦まんが研究『まるごと杉浦茂』 pp.136 - 139
^ 杉浦茂:自伝と回想 pp.54 - 61
^ a b 杉浦茂:自伝と回想 p.196
^ 漫画家人名事典 p.201
^ 杉浦茂:自伝と回想 pp.77-78
^ 杉浦まんが研究『まるごと杉浦茂』 p.36
^ 二度目の仕事:日本凡人伝 p.259
^ 杉浦茂:自伝と回想 pp.61-63
^ 杉浦茂:自伝と回想 p.149
^ 杉浦まんが研究『まるごと杉浦茂』 p.147
^ 杉浦茂:自伝と回想 p.150

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