杉井ギサブロー
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1982年の『孫悟空シルクロードをとぶ!!』を経て[23]、1983年のあだち充原作のスペシャルアニメ『ナイン』で本格的に復帰を果たす。『ナイン』については、放浪中の旅先でたまたまあだちの漫画に接して関心を持っていたところに、広告代理店の知人から『ナイン』のアニメ化について意見を求められ、「それなら僕に監督をやらせてほしい」と申し出たという[24]。完成後にはいったん旅に戻ったが、『ナイン』の続編が決まったため、復帰することとなった[24]

続けて1985年から総監督を担当したあだち充原作のテレビシリーズ『タッチ』は大ヒットとなり、日本アニメ大賞アトム賞を受賞。

2006年から京都精華大学マンガ学部アニメーション学科の専任教員に就任した。

2012年7月28日に杉井を取り上げたドキュメンタリー映画『アニメ師・杉井ギサブロー』(石岡正人監督)が公開された。
『ルパン三世』と杉井ギサブロー

モンキー・パンチの漫画『ルパン三世』は1971年にテレビアニメ化されて以来、現在も新作アニメが制作される人気シリーズになっているが、このアニメ化のきっかけを作ったのが杉井であった。杉井は1969年の『どろろ』の放送開始前に同じく虫プロ出身の勝井千賀雄と共に、『ルパン三世』のアニメ化の企画を東京ムービーに持ち込んだ。東京ムービーは、『ルパン三世』を劇場用長編アニメとして東宝に売り込むことになり、1969年頃に『ルパン三世 パイロットフィルム』が制作され、杉井は将棋のシーンと峰不二子のダンスシーンの作画を担当した。『ルパン三世』は1971年にテレビアニメとしてアニメ化が実現し、以後何作も作られたが、杉井は長くスタッフとして参加することはなかった。しかし、四半世紀以上経った1996年になって、『金曜ロードショー』の枠でテレビスペシャル『ルパン三世 トワイライト☆ジェミニの秘密』を監督。放送の際には『金曜ロードショー』で映画解説を担当する映画評論家水野晴郎によって企画者だった事実も紹介されていた。
作風

30歳を境に映画の作り方が変わったと明言しており、それまでは、演出家のイメージが描かれた絵コンテを、制作現場がどこまで再現できるかが重要であると考えていたが、関わるスタッフや制作の状況によって映画作りは変化していくものであり、変化することは悪いことではないと考え直し、『銀河鉄道の夜』を制作して実感した経験から、脚本や絵コンテは決定版ではなく一応の(仮)に過ぎず、企画時にプロデューサーと監督が定めたコンセプトから逸脱しない限り、制作する現場のスタッフたちによってイメージを流動的に変えて行く方が、結果として熱気を帯びた生きた映画に繋がると語っている。また杉井は、この作り方は実写映画に起こりがちで、アニメの制作現場ではやりにくいとしながらも、完成した場面には関わった人間の想いが込められるため、ある種の魅力が形作られるとして、完成された破綻の少ない映画よりも、多少の破綻を帯びた映画の方が、熱気を帯びて人を感動させられるのではないか、という気持ちを強く持っていると述べている[25]
発言
娯楽映画に関して

娯楽映画について、「作る方は真剣に作らないと駄目だよね。この真剣さが熱気を醸し出してくると、面白い娯楽映画ができるんですよ」と語り、日本の娯楽映画が衰退した原因として、作り手側の多くが、所詮は見世物と勘違いをして、遊びの姿勢で作った結果だと指摘している。また、メッセージ性の強い文芸物はテーマが解りやすく、娯楽映画より作るのが容易で評価されやすいとして、「娯楽物というのは、どんなにメッセージが多くても、つまんないと言われたら終わりですよ。だから難しいと思うな。面白いと思わせてなんぼだから」と娯楽映画を作る難しさを述べている[26]。また、日本は後へ残さない娯楽映画が不得意であり、米国のハリウッド映画に全てを取られていると断言した上で、「アニメなら日本映画だってそれができると思う」と発言している[27]
ゲームの映画化に関して

ゲームが原作の映画について、リアルな情感が映画の中で存在感を持つことが重要だと説いた上で、「見ている間は一生懸命に見る。見終えれば何も残さなくて良い」「映画館を出たら忘れていい。ゲームを終えたような後味の良い爽快感が欲しいんです」と語って、ゲームをプレイする感覚と同じ気分に浸れる作品づくりを心掛けることが、ゲームの映画化に於いて必要だとしている[28]
自作に関して

自身が監督した映画について、「見終わった後、後へ残す映画と残さない映画があると思うんです」と指摘して、『銀河鉄道の夜』については、「見た後で何時までも、あれ何だったんだろうと残るものがある。解決していないことに意味がある」と語る一方で、『ストリートファイターII MOVIE』については、その対極にあるとして、「後味がさらっと、見終わったら何も残さない、カラッとした娯楽」と語っている[29]
アニメの質感に関して

「アニメーションは絵ですから、質感がないですよね」と指摘した上で、アニメ監督の仕事は、そのアニメに如何にして質感を肉付けするかにあるとして、「表現方法は、線の描き方や絵の動かし方と様々ですが、僕は音に質感を求めるタイプなんですよね」と発言している[30]
映画のソフト化に関して

映像作品は飽くまで、発表した媒体に拠った形であるべきという趣旨の発言をしており、劇場作品のソフト化については、「映画のミニチュアという形で見る人に届けられるのが一番いい」「映画を観てるんだなという感覚が残る方が良いですね」と述べている[31]
主な作品

鉄腕アトム1963年-1966年、脚本・演出・作画監督・原画)

新宝島1965年、作画監督)

悟空の大冒険1967年、監督・チーフディレクター)


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