知行村数村名
幕府領幕府領12村●中野村、高円寺村、馬橋村、久我山村、上高井戸村、下高井戸村、中高井戸村、田端村、成宗村、本郷新田、和泉新田(和泉村のうち)、大宮前新田、松庵村
旗本領7村●上鷺之宮村、和泉村、上高田村、片山村、●和田村、●上井草村、●下井草村
幕府領、旗本領8村江古田村、雑色村、●永福寺村、●上荻窪村、新井村、下鷺之宮村、上沼袋村、下沼袋村
鉄砲玉薬組同心給地1村●本郷村
その他寺社領4村下荻窪村、天沼村、阿佐ヶ谷村、堀之内村
1868年(慶応4年)
7月10日(8月27日) - 旧幕府代官の松村長為(忠四郎)が武蔵知県事に就任。現杉並区にあたる地域を管轄。
8月8日(9月23日) - 松村長為知県事が古賀定雄(一平)に交代。
1869年
明治2年2月9日(3月21日) - 古賀知県事の管轄区域に品川県を設置、現杉並区にあたる地域は品川県に属す。
1870年
明治2年12月18日(1月19日) - 寄場組合を廃止し24の番組を設置。現杉並区・中野区にあたる地域は6・18・21・22・23番組のそれぞれ一部に相当[8]。
1871年(明治4年)
11月14日(1871年12月25日) - 品川県を廃止し東京府(第2次)が発足[9]。
1872年
明治4年12月5日(1月14日) - 現杉並区にあたる地域の東京府への編入成る。
明治5年1月22日(3月1日) - 現杉並区にあたる地域が神奈川県に移管される[10]。後の東多摩郡(現杉並区・中野区)に相当する地域32村が東京府に戻る運動を展開。
8月19日(9月21日) - 現杉並区域20村(高円寺村・馬橋村・永福寺村・上荻窪村・下荻窪村・久我山村・上高井戸村・下高井戸村・中高井戸村・田端村・成宗村・和泉村・大宮前新田・松庵村・和田村・上井草村・下井草村・天沼村・阿佐ヶ谷村・堀之内村)が東京府の管轄に戻される[11]。9月10日(10月12日)に編入成る。
1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法により多摩郡は4郡に分割され、20村は東多摩郡に属する。
1889年(明治22年)5月1日 - 町村制施行により、東多摩郡杉並村・和田堀内村・井荻村・高井戸村が発足。
1896年(明治29年)4月1日 - 東多摩郡が南豊島郡と合併し豊多摩郡となる。
1924年(大正13年)6月1日 - 杉並村が町制施行して杉並町となる。
1926年(大正15年)7月1日 - 和田堀内村、井荻村、高井戸村がそれぞれ町制施行し、和田堀町、井荻町、高井戸町となる。