杉並区
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JR中央線沿線(高円寺阿佐ケ谷荻窪西荻窪駅周辺など)を中心として、商店街が発達しており、地元住民だけでなく区外からの来街者を想定した個性的な中小店舗群も集まっている[1]高円寺は古着屋・ライブハウスなどが集積しており、休日には多くの若者で賑わう。

東京都内の6区市と隣り合う。北は練馬区、東は中野区、東南でわずかに渋谷区、南は世田谷区と隣接。西側には武蔵野市三鷹市が位置する。

地形的には武蔵野台地上にあり、全体的になだらかな高台地域。特に高台に沿って、古来より甲州街道青梅街道が南北の区境近傍に東西に通っている。
河川など

神田川善福寺川沿いの低地は、近世には水田耕作に利用されていたが、勾配のきつい坂はないため、広範囲に洪水被害が及ぶことが危惧されている[2]

区内の水流は神田川に合流する支流となっている。

神田川

善福寺池(東京都の三大湧水池の一つ)

善福寺川

井草川

妙正寺池

妙正寺川

桃園川 - 現在は暗渠化青梅街道から東に中野区まで続く地上部分は遊歩道(桃園川緑道)として整備されている。

玉川上水

人口

1920年大正9年)の時点では、杉並区に相当する地域の人口は2万人にも満たなかったが、1922年(大正11年)に高円寺駅阿佐ケ谷駅西荻窪駅が開業し、翌1923年(大正12年)に発生した関東大震災以降、都心部から多くの市民が郊外の空閑地を求めて転入したことで人口が増加、1942年(昭和17年)には26万人を超えた。

太平洋戦争中は疎開で一時減少したが、戦後復興と高度経済成長で、1963年(昭和38年)には50万人台に到達した[3]


杉並区と全国の年齢別人口分布(2005年)杉並区の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 杉並区
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
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現在、技術上の問題で一時的にグラフが表示されなくなっています。

杉並区(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


一方で、人口増加とそれに伴う土地・施設不足による問題も起きている。昭和期には清掃工場の建設反対運動から、ゴミ搬入を江東区に拒否された『東京ゴミ戦争』が発生した。

平成期以降は、保育所定員増による待機児童問題の緩和を急いでいる。また高齢者福祉施設の不足への対応から、2018年3月には静岡県南伊豆町に同町の協力を得て特別養護老人ホームを開設した[4]

2020年現在、松ノ木一丁目近辺が東京都全体の人口重心となっている[5]
昼夜間人口杉並区の住宅地。中野区側から見下ろした景観

2005年時点の夜間人口(居住者)は522,582人。これに対して、区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は439,379人で、の0.841倍の人口になる。通勤者で見ると、区内から区外への通勤者は161,305人、区外から区内への通勤者は77,071人となっている[6]。国勢調査では年齢不詳のものが東京都だけで16万人いる。上のグラフには年齢不詳のものを含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる。
歴史
近世以前


古来
武蔵国に在り、現在の杉並区に当たる区域は多摩郡内の一部として属していた。

近世


江戸時代は武蔵国の一部であり、御府内(江戸の市域・城下町)には含まれていない。

甲州街道の第2宿高井戸宿が設けられた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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