朴?美
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

舞台でも声優でも、老若男女幅広い役を演じている[37]。アニメではティーンエイジの少年役に起用されることが多い[37]。吹き替えではヒラリー・スワンクミシェル・ロドリゲスヘレナ・ボナム・カータールーシー・リューなどが持ち役。ナレーションでは『金曜ロードSHOW!』でサッシャのパートナーとしてナレーターを担当している。

これまで様々な作品で少年役を演じていたが、少年役であっても大人の女性役であっても、役に対するスタンスは変わらず、「演じるからにはとにかく役と一緒になりたい、自分のすべてを出し切りたい」と語る[38]。もし違いがあるとしたら、「少年役は心が隠せないこと」で、少年は気持ち、思いが前面に出てくる気がするという[38]

男の子役を演じる時の発声を変えるという考えが嫌いで、「どう男の子役をやるか」という葛藤であった[39]。『∀ガンダム』から続き、『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリック役で、自分の中で納得がいくようになってきたという[39]

デジモンアドベンチャー02』の一乗寺賢役を演じていた時は、少し変わった役であったが、怒りの部分を増幅させ、「もしそこで男の子じゃないと言われたら、それはもうそれでいいや」と思ったという[39]

『∀ガンダム』のロラン・セアック役で初めて少年役を演じ、『デジモンアドベンチャー02』の一乗寺賢役、『シャーマンキング』の道蓮役、『ドラゴンドライブ』の大空レイジ役と、様々なタイプの少年役を演じてくれたことにより[38]、『鋼の錬金術師』のエドワード・エルリック役はそれまでの集大成であり、運命的なものを感じたという。エドの役は感情の振れ幅が大きかったため、他の役では感情を出し過ぎたことが多々あったり、エドのような演技を求められても、違うキャラクターだからできないというギャップに戸惑った時期もあったという[40]

朗読劇『電車男』、舞台『レインマン』と、2009年時点では声だけではなく舞台出演も平行しているが、体はいつも泣き言ばかりで朴自身「よく維持できてるな」と思っている[30]。仕事を引き受けてしまった以上はやるしかなくその前に「考えろ」という感じだが、朴は先が読めないタイプだという[30]

『電車男』では初めて舞台上で男の子役を演じており、その時は朗読劇と聞いていたが、蓋を開けてみると朗読劇という名のアクションステージであった[30]。本番では、スクリーンは壊れ、りんごで頭を打ち、稽古期間の短さ、台詞の多さから考えると、まさしくあの舞台は逆切れの賜物だという[30]

声優を初めた当初は少年役で苦しんだが、途中からは「男の子も何もないな」と思った[30]。『NANA』の大崎ナナ役もそうだが、「その役を自分の中に入れれば問題はないな」と『NANA』の大崎ナナ役も同じ感覚で演じているという[30]
声優・女優になるまで
生い立ち

在日韓国人として生まれ、後に日本に帰化した韓国系日本人[18][41]。姉と弟がいる[41]。子供のころは体が弱く、肺炎で死にかけたり、食事もあまり摂らないにもかかわらず、活発に動いて突然倒れることもあった[41]。小学生の頃はのあだ名は「半切りごぼう」[注 2]。体を鍛えることと箱入り娘に育てるため、少林寺拳法水泳ピアノ書道公文そろばん油絵など習い事をいくつもした[41]儒教のしきたりで毎週日曜日に祖父母の家を訪ね、学校では日本語、家では日本語と韓国語、祖父母宅では韓国語で過ごす一日で世界が変わる生活は現実感がなく、特に祖父母の家に行くことは鬱陶しく感じていた[41]。家ではだらしないとして流行のファッションをしていると怒られ、父とは20歳になるまで敬語で会話していた[41]。父は単身赴任が多く家にあまりいなかった[42]。母は、日本語を知らぬまま来日していたが、凄く努力して新聞などを独学で日本語を学んでいたようで、日常会話は日本語であった[41][42]。母は朴を在日韓国人学校、朝鮮人学校に入れるつもりも全くなかったようであったことから朴に韓国語を強要したことは一度もなかったという[42]。母は、朴をアルバイトもさせてくれなかったことから馬鹿かわいがりしていた[42]。後述の彼氏が出来た時には彼を「どういうつもりなんですか?」と呼び出していたことから大変であった[42]。その時に「真剣にお付き合いしているのだったら私のいる前でしか会わないで」、とも言っていたという[42]。中学は地元の公立校では不良になるとの心配から、母の意向で私立校に通い[41]、高校は自分の居場所を求めて韓国の学校へ進学することを希望するも許されなかった[43]。また姉は、日本になじめずに、韓国に行っていた時期もあり[44]、中学進学時にも「韓国に行きたい」と言っていた[45]
デビュー前

元々、演劇に興味を持っていたわけではなく、高校で演劇部に憧れの先輩がいたこと[43]、先輩に誘われたことがきっかけ[44][46]。両親からは「高校生になったら部活動してもいい」と許しが出たため、先輩の言葉に乗り、演劇部に入部[44]。演劇部に入ると、みんなで作品を作り上げることが好きになり芝居にのめり込む[46][44]。当時は学校の演劇部としての活動は、ほどほどだったが、地区大会のようなものには出場していた[44]。顧問の教師からもあまり干渉はされず、自由奔放にしてもらえたという[44]。演劇部の1年目は役をもらえるわけではないため、一番最初は照明を担当していた[47]。当時は部活動だったが、芝居の演出も生徒が色々な役割分担をそれぞれに受け持つかたちで運営していたことから、演出に興味があったという[44][46]

脚本は色々で、当時は人気のあった野田秀樹の作品などを上演していた[44]。野田作品の舞台は観たことは一度もなかったが、勝手に自分なりの解釈で舞台を演出していた[44]。短大生になり初めて夢の遊眠社で野田の演出の舞台を観て、「オリジナルはこうなっていたんだ」と感激していた[44]

高校3年の時に出場した全国高等学校演劇大会の地区大会で、ミヒャエル・エンデの『モモ』の登場人物を全員女性に改稿して演じていたが、本番で演じている最中に停電になってしまい、上演は中止になった[46]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:421 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef