朱子学者
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更に、程頤は学問の重要な方法として「窮理(理の知的な追求)」と「居敬(専一集中の状態に維持すること)」を説いており、これも後に朱子学の大きな柱となった[11]

また、「の哲学」を説いた張載も朱熹に大きな影響を与えた。彼は「太虚」たる宇宙は、気の自己運動から生ずるものであり、そして気が調和を保ったところに「道」が現れると考えた[12]。かつて、唯物史観が主流の時代には、中国の学界では程・朱熹の「性即理」を客観唯心論、陸象山王陽明の「心即理」を主観唯心論、張載と後に彼の思想を継承した王夫之の「気」の哲学を唯物論とし、張載の思想は高く評価された[13]
朱熹の登場「朱熹」も参照

北宋に端を発した道学は、南宋の頃には、士大夫の間にすでに相当の信奉者を得ていた[14]。ここで朱熹が現れ、彼らの学問に首尾一貫した体系を与え、いわゆる「朱子学」が完成された。朱熹の出現は、朱子学の影響するところが単に中国のみにとどまらなかったという点でも、東アジア世界における世界的事件であった[14]

朱子学を完成させた朱熹は、建炎4年(1130年)に南剣州尤渓県の山間地帯で生まれた。「朱子」というのは尊称[14]。19歳で科挙試験に合格して進士となり、以後各地を転々とした[15]。朱熹は、乾道6年(1170年)に張?呂祖謙とともに「知言疑義」を著し、当時の道学の中心的存在であった湖南学に対して疑義を表明すると、「東南の三賢」として尊ばれ、南宋の思想界で勢力を広げた[16]。しかし、張?・呂祖謙が死去すると、徐々に朱熹を思想面において批判する者が現れた[16]。その一人は陳亮であり、夏殷周三代・漢代の統治をどのように理解するかという問題をめぐって「義利・王覇論争」が展開された[17]

また、朱熹の論争相手として著名なのが陸九淵であり、淳熙2年(1175年)に呂祖謙の仲介によって両者が対面して行われた学術討論会(鵝湖の会)では、「心即理」の立場の陸九淵と、「性即理」の立場の朱熹が論争を繰り広げた[18]。両者はその後もたびたび討論を行ったが、両者は政治的に近い立場にいた時期もあり、陸氏の葬儀に朱熹が門人を率いて訪れるなど、必ずしも対立していたわけではない[19]

朱熹は、最後には侍講となって寧宗の指導に当たったが、韓?冑に憎まれわずか45日で免職となった[15]。韓?冑の一派は、朱子など道学者に対する迫害を続け、慶元元年(1195年)には慶元党禁を起こし朱熹ら道学一派を追放、著書を発禁処分とした[15]。朱熹の死後、理宗の時期になると、一転して朱熹は孔子廟に従祀されることとなり、国家的な尊敬の対象となった[20]
内容

島田虔次は、朱子学の内容を大きく以下の五つに区分している[21]
存在論 - 「理気」の説(理気二元論)

倫理学・人間学 - 「性即理」の説

方法論 - 「居敬・窮理」の説

古典注釈学・著述 - 『四書集注』『詩集伝』といった経書注釈、また歴史書『資治通鑑綱目』や『文公家礼』など。

具体的な政策論 - 科挙に対する意見、社倉法、勧農文など。

理気説「」および「」も参照

朱子学では、おおよそ存在するものは全て「」から構成されており、一気・陰陽五行の不断の運動によって世界は生成変化すると考えられる[22]。気が凝集すると物が生み出され、解体すると死に、季節の変化、日月の移動、個体の生滅など、一切の現象とその変化は気によって生み出される[23]

この「気」の生成変化に根拠を与えるもの、筋道を与えるものが「理」である。「理」は、宇宙・万物の根拠を与え、個別の存在を個別の存在たらしめている[24]。「理」は形而上の存在であり、超感覚的・非物質的なものとされる[25]。天下の物、すなわち必ずおのおの然る所以の故と、其の当(まさ)に然るべきの則と有り、これいわゆる理なり。 ? 朱子、『大学或問』

「理」は、あるべきようにあらしめる「当然の則」と、その根拠を表す「然る所以の故」を持っている[24]。理と気の関係について、朱熹はどちらが先とも言えぬとし、両者はともに存在するものであるとする[24]
性即理「性即理」および「性善説」も参照

朱子学において最も重点があるのが、倫理学・人間学であり、「性即理」はその基礎である[26]。「性」がすなわち「理」に他ならず、人間の性が本来的には天理に従う「善」なるものである(性善説)という考え方である。

島田虔次は、性と理に関する諸概念を以下のように整理している[27]


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