本西厚博
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創部2年目のチームを都市対抗予選初出場で本戦出場の快挙を成し遂げた[6]
人物

週刊ベースボール内の読者に技術指導をするコーナーを担当していた(守備担当)。読者からの「千葉マリンスタジアムは強風のためたいへん守備が難しい球場だと言われているが、本当か」という質問に対し、「ちっとも難しいことはない。むしろ風が吹いたほうが面白かった」と守備の名手らしいコメントを残している。

現役時代、球界一の外野手と言われただけあり守備に対する批評眼は厳しい。オリックス時代の同僚で、メジャー屈指の名手とされているイチローの守備に関してすら週刊ベースボールの記事で、「巧くない。魅せるプレーが多く基本から外れている」と評価するほど[7]である。一方で、いままで見てきた外野手の中で一番すごい選手は誰かの問いには新庄剛志の名をあげており、「打者が打った瞬間の1歩目のスタートが非常に速い」と語っている。

一方、打撃は守備ほど特筆するものはなかったが、粘り強くしぶといことで知られていた。現役時代得意にしていたのは当時近鉄のエースだった阿波野秀幸で、「各球種のクセが全部分かっていたので、球は速いが打つ自信があった」と語っている。逆に苦手だったのは工藤公康(当時西武)。なお奇しくも得意・苦手ともに左投手であるが、これについては「右投手のときには使ってもらえなかったから」と自虐的に語っている。

口癖は「逆に?」「?と言いますか」「要するに?」。

三女はオフィス・メイ所属の女優 本西彩希帆[8][9]
詳細情報
年度別打撃成績

















































O
P
S

1987阪急
オリックス
114234207355060262141031011313364.242.295.300.594
198851897492240129632110400134.297.333.392.725
19891203272814985154512333841322813484.302.369.438.807
199010530927035781433107311241622100435.289.338.396.734
1991124450394521041374143221341723502508.264.326.363.689
19929523220322483606319521041401346.236.284.310.594
19931082182002552800601041401311325.260.308.300.608
199410224121933621014862624821200385.283.318.393.710
199511324521424506316524201111702394.234.295.304.599
199610323720623544216519309218223711.262.325.316.640
1997274643511200131000010271.256.304.302.607
阪神3775685152112260020401133.221.274.324.598
'97計6412111110264113570020503204.234.286.315.601
199842433785100653120301120.135.220.162.382
1999日本ハム9419515222367104512521302515352.237.363.296.659
2000ロッテ8411091151821022651701111181.198.291.242.533
200170675611101101360030701100.179.281.232.513
通算:15年13893118271537370098302292424075281361622672546563.258.319.340.659


阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更

表彰

ゴールデングラブ賞:1回 (外野手:1989年)

記録
初記録


初出場:1987年4月10日、対
南海ホークス1回戦(阪急西宮球場)、9回表に左翼手として出場

初盗塁:1987年4月12日、対南海ホークス3回戦(阪急西宮球場)、10回裏に二盗(投手:山内和宏、捕手:岩木哲

初先発出場:1987年5月10日、対ロッテオリオンズ5回戦(福島県営あづま球場)、2番・左翼手として先発出場

初安打:同上、1回裏に園川一美から

初打点:1987年5月15日、対南海ホークス7回戦(阪急西宮球場)、6回裏に福本豊の代打で出場、中村弘道から

初本塁打:1987年7月1日、対近鉄バファローズ12回戦(日生球場)、6回表に小野和義からソロ

節目の記録


1000試合出場:1996年8月7日、対西武ライオンズ20回戦(西武ライオンズ球場)、9番・三塁手として先発出場 ※史上335人目

背番号

9 (1987年 - 1992年)

0 (1993年 - 1997年途中)

32 (1997年途中 - 同年終了)

8 (1998年)

48 (1999年)

37 (2000年 - 2001年)

77 (2002年)

78 (2010年 - 2012年、2014年 - 2018年)

関連情報
出演
テレビ

メジャーリーグ中継(NHK)

J SPORTS STADIUM(ロッテ、オリックスのホームゲーム)

ウェブラジオ

鎌スタラジオ( ⇒
オンエアーステーション[リンク切れ])

映画

レフトフライ
(2018年1月13日公開、カエルカフェ、監督:秋原北胤[10] ※特別出演

脚注^本西監督就任のお知らせ
^“リーグ初優勝 守りの野球結実”. 信濃毎日新聞. (2017年10月3日). ⇒http://www8.shinmai.co.jp/grandserows/ 2017年10月3日閲覧。 
^ “BC信濃の本西監督退任へ 球団「3年で一区切り」”. 信濃毎日新聞. (2018年9月17日). https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180917/KT180916IWI090005000.php 2018年9月29日閲覧。 
^ “BC信濃、本西監督の退任発表”. 信濃毎日新聞. (2018年9月18日). https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20180918/KT180917IWI090030000.php 2018年9月29日閲覧。 
^ “元オリックス・本西厚博さん、女子硬式「ハナマウイ」助監督就任 男子クラブチーム設立も” (2019年1月21日). 2020年8月25日閲覧。
^ “ハナマウイ勝ち都市対抗 元オリックス本西監督笑顔”. 日刊スポーツ. (2020年10月7日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202010070000394.html 2020年10月7日閲覧。 
^ とくにダイビングキャッチについては否定的であり、「外野手はキャンプ中にダイビングキャッチの練習なんて一度もやらない。練習していないことを試合でやったら駄目」「ダイビングするぶん打球に追いつくのが遅くなる。走った方が早い」「僕は現役時代に一度もダイビングキャッチはやっていないし、イチローや田口もスライディングキャッチはやってもダイビングキャッチをやるようには教えていない」と語っている。
^ “12人の美女が本命球団を応援! 本西彩希帆「福浦選手の2千本安打を目撃したい!」”. 週プレNEWS. (2018年3月28日). https://wpb.shueisha.co.jp/news/sports/2018/03/28/102061/ 2018年3月30日閲覧。 [リンク切れ]


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