本村洋
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事件の概要

F・T(O・T)
生誕 (1981-03-16)
1981年3月16日(43歳)
日本山口県光市
国籍 日本
出身校聖光高等学校(1999年3月卒業)
職業配管工
罪名殺人、強姦致死、窃盗
刑罰死刑
犯罪者現況服役中

有罪判決

死刑確定:2012年3月16日
日本
都道府県山口県
現場新日鐵沖田アパート
標的母子
死者2人
逮捕日1999年4月18日
収監場所広島拘置所

本事件の加害者F・Tは1981年昭和56年)3月16日[18]、光市で誕生した[19](事件当時18歳30日)[20]。2020年(令和2年)9月27日時点で[21]、犯人F(現姓O)[注 2]死刑囚死刑確定者)として、広島拘置所収監されている(現在43歳)[18]

以下、検察側主張、及びこれまでの判決が認定してきた内容に基づく事件の概要である。
事件前の経緯

加害者の少年F(事件当時18歳)は事件当時、実父[注 3]・継母・弟2人[注 4]・祖母[注 5]と6人暮らしだった[23]。Fは幼少期から実母とともに実父から暴力を受け、中学時代には実母が自殺[24]。それ以前から母親に精神的に深く依存していたことから、母の自殺後、少年鑑別所の総合所見によれば「見捨てられたと感じ、心の支えを失った状態になった」とされている[19]。実父は若い外国人女性と再婚し、本事件の約3か月前には異母弟が生まれていた[24]

Fは中学3年生のころから性行為に強い興味を持つようになり、ビデオや雑誌を見て自慰行為にふけったり、友人とセックスの話をしたりしていたが、次第に性衝動をうっ積させ、早く性行為を経験したいとの気持ちを強めていた[25]

Fは1999年(平成11年)春に高校を卒業すると、地元にある配管工事などを業とする会社に就職して同年4月1日から出勤[25]。先輩の社員について現場に行き、見習い社員として働いていたが、4月9日および13日は欠勤し、友人宅やゲームセンターなどでテレビゲームなどをして遊んだ[25]。事件当日(4月14日)も欠勤して遊ぶことにし、父親や義母の目をごまかすため、7時ごろには会社の作業服などを着た上で出勤を装って自宅を出発し、友人宅などで遊ぶなどした後、いったん帰宅して昼食を食べてから再び外出した[25]
事件当日

少年Fは1999年4月14日午後、「美人な奥さんと無理矢理にでもセックスをしたい」と思い[9]、同じアパート群の自宅から約200 m離れた[19]、事件現場となったアパート[3](「沖田アパート」:新日本製鐵光製鐵所社宅)[注 1]の3棟に向かった[3]。この時、Fは「強姦によってでも性行為をしてみたい」という気持ちになっていた一方、「そのようなことが本当にできるのだろうか」と半信半疑に思いつつも、布テープ・こて紐などを携帯し[3]、アパートの10棟から7棟にかけ[26]、排水検査の作業員を装って戸別に訪ね、呼び鈴を鳴らすなどして、若い主婦が留守を守る居室を物色して回った[27]

その行動を誰からも怪しまれなかったことから、Fは次第に「本当に強姦できるかもしれない」などと自信を深めていった[3]。そして14時20分ごろ、アパート7棟の被害者宅を訪れ、排水検査を装ったところ、被害者女性A[9](事件当時23歳)[10]に部屋へ招じ入れられたことなどから[9]、室内に上がりこんだ[27]。FはAを「若くてかわいい女性だ」と思ったことから、「強姦によってでも性行為をしたい」という気持ちを抑えきれなくなり、トイレなどで排水検査をしているふりをしながら様子を窺い[27]、14時30分ごろにAを強姦しようと企てて背中から抱き着いた[9]。その上でAを仰向けに引き倒し、馬乗りになるなど暴行を加えたが、大声を出されて激しく抵抗されたため、殺害を決意[9]。仰向けに倒れたAに馬乗りになった状態で、Aの首を絞めて殺害し、強姦した[9]

同日15時ごろ[9]、Aの長女B[28](事件当時生後11か月)[10]が激しく泣き続けたため、犯行の発覚を恐れる[注 6]とともに、Bが泣き止まないことに激昂[9]。Bの首に所携の紐を巻き付け、強く引っ張ることで絞殺した[9]。そして犯行の発覚を遅らせるため、Bの死体を押入の天袋に投げ入れ、Aの死体を押入の下段に隠すなどしたほか、被害者宅から自分の指紋が付着した洗浄剤スプレー・ペンチを持ち出して隠匿するなど罪証隠滅工作をした[29]。そして、Aが管理していた現金約300円および地域振興券約6枚(額面合計約6,000円相当)などが入った財布1個(物品時価合計約17,000円相当)を窃取し[30]、その地域振興券でカードゲーム用のカードや菓子類を購入した[29]
逮捕・起訴

事件後、帰宅した被害者Aの夫である本村 洋が妻Aの遺体を発見し、本村からの110番通報を受けて駆けつけた山口県光警察署の署員が押入れの上の棚で長女Bの遺体を発見した[6]。これを受け、山口県警察本部刑事部捜査第一課は光警察署に捜査本部を設置して捜査し[14]、事件から4日後の1999年4月18日に殺人容疑で被疑者として少年Fを逮捕した[注 7][12][8]

少年Fは5月8日に山口地方検察庁から「刑事処分相当」の意見付きで山口家庭裁判所送致され[注 8][33]、山口家裁(三島c夫裁判官)は少年審判の結果、同年6月4日に被疑者Fを山口地検へ検察官送致(逆送致)することを決定して身柄を地検へ引き渡した[34]。これを受けて地検は同年6月11日[13]、殺人・強姦致死・窃盗の各罪状で被疑者Fを山口地方裁判所[注 9]起訴した[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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