本日も晴天なり
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演 - 津川雅彦元子の父。日本橋人形町で江戸時代から続く染物屋「吉宗(よしそう)」主人。名前の読みは「むねとし」だが、江戸時代の茶坊主・義賊の河内山宗春にあやかって「そうしゅん」を名乗っており、幼馴染からも「そうちゃん」と呼ばれ、家族や金太郎(後述)らも宗俊について語る際「河内山」と呼ぶことがある。短気で勝気、べらんめえ口調だが、実は小心者で何かあると布団を被って寝込む。子煩悩だが、素直になれずにいる。カボチャと芋は食べない主義。元子の放送員試験応募には反対するも結局、就職後は研修内容を元子に毎晩説明させるなど、却って研究熱心になる。戦時中は物資統制令のため、店を閉めて工場で働いていた。人形町周辺が東京大空襲でも焼け残り、桂木家も焼け残って家族や使用人も無事生き延びたが、戦後も本業を再開できず、代わりに闇市へ買い出しに行こうとしては汽車が満員で諦め、元子が古着屋の物々交換で米兵から仕入れた食料を闇市で売ろうとして浮浪児に盗まれ、歌舞伎役者からの依頼がGHQ命令による公演中止の影響で取り消されるなど失敗続きとなる。正道とバラック建設の仕事に就き、元子にかばんの材料にする帯芯を染めるよう頼まれたことをきっかけに本業を少しずつ再開させる。その後も仕事を続けたが、昭和39年、新潟地震の影響で関東地方も揺れた直後に心臓発作を起こし、その後も騙し騙し仕事は続けていたが、昭和40年10月、62歳で亡くなる。
桂木トシ江(かつらぎ としえ)
演 - 宮本信子元子の母。大抵のことには動じず、宗俊の小言も受け流す。元子が家庭そっちのけで仕事をしているのを心配しつつも子供を預かるなど協力している。
桂木正大(かつらぎ まさひろ)
演 - 福田勝洋元子の兄。北海道の大学に通っていたが、大学生の一部徴兵猶予撤廃によって出征する。大原によれば、所属部隊とともに満州に派遣されたが、その後関東軍の多くとともに南方に派遣されたという。昭和20年3月12日にフィリピンで戦死した旨の公報が翌21年に届く。
桂木巳代子(かつらぎ みよこ) → 藤井巳代子(ふじい みよこ)
演 - 小柳英理子元子の妹。食いしん坊でちゃっかりした面がある。昭和21年、無事に女学校を卒業。家業を手伝いながら生活学院に通う。学院卒業後、得意な料理を生かして時折ラジオ番組にも出演していた。大原と仕事をしていた藤井(後述)に見初められて結婚、1女をもうける。
桂木順平(かつらぎ じゅんぺい)
演 - 吉田紀人 → 藤森政義 → 斎藤建夫元子の弟。昭和20年に入り、キン(後述)とともに埼玉県熊谷市疎開。同年8月14日に空襲を受け、15日にキンとともに帰京。学生時代は野球に熱中。宗俊と馬が合わず、一時、松江へ家出する。映画の世界を目指し、助監督を務めながら脚本を書いていたがものにならず、父との対立もあり、悶々とした日々を送っていた。徳島県で見た藍を作る職人の記録映画を制作。その後各地の職人の手仕事を見るため家に寄り付かなかったが、藍職人のもとで住み込みで働いていた。昭和38年11月、妻となる福代を連れて東京に戻り、宗俊に弟子入りする。周囲に歓迎され吉宗の跡継ぎになる。
花山洋三(はなやま ようぞう)
演 - 上條恒彦元子の叔父。喫茶「モンパリ」店主だったが、昭和19年時点では当局の指導で閉店を余儀なくされる。通称は「モンパリの叔父さん」。若いころに洋行経験があり、正大に北海道の大学入りを勧めた。出征前の正大には千鶴子との密会の場を作ったり、元子が放送員試験合格後に同期を連れて訪れた際には残った手持ちのコーヒーを、研修後の送別会の時はシャンパンを提供する。元子らが松江の大原家に挨拶に行く際には宗俊が余計なことを言わないよう、お目付けとして同行する。戦後も「モンパリ」経営者を長く続けるが、大原の事故と長期療養中には、元子に店の運営を任せることを提案したことがある。昭和43年ごろに店を他の者に任せ、夫婦揃って海の近くの温泉付き老人ホームに移住したが、昭和46年時点でも週に2回は東海道本線に乗り銀座を訪れている。
花山絹子(はなやま きぬこ)
演 - 茅島成美[12]元子の叔母。宗俊の妹。「モンパリ」を元子とともに訪れた同期たちに、元子が幼いころ、店を訪れた尾上菊五郎の膝の上で粗相をしたことを明かす。元子と同い年の息子がいたが、夭逝している。
大原大介
演 - 橘慎之介 → 中村雅紀 → 田島理司 → 木下浩之正道と元子の長男。昭和25年生まれ。戦死した元子の兄・正大の一字を取って正道が命名。松江に移住する前、初めて松江を訪れた時から「ひいばあ」こと波津に懐いていた。昭和40年時点で中学3年生。元子が仕事のため家を空けてばかりで、高校受験を前にして家事もこなさなければならないことに不満を抱くが、両親と話し合い関係は改善。志望校に合格する。その後大学へ進学、学生運動デモにも参加する。1973年、アフリカケニアに渡航する。
大原道子
演 - 川瀬香織 → 荒川真実 → 川上麻衣子正道と元子の長女。松江で生まれる。
立山のぼる(たてやま のぼる)
演 - 有安多佳子元子のアナウンサー時代の同期生。満州出身。同期からは「立つ山にのぼる」という名前から連想した「六根清浄」もしくは略して「六根」というあだ名で呼ばれる。試験に不合格ならば結婚するよう言われていた。研修後は元子と同じ東京放送局配属となるが、下宿先を空襲で焼け出され、トモ子(後述)が去った後空き部屋となっていた花山家の部屋に下宿することとなる。元子らと一緒に放送協会を退職後、銀座PXに勤め、元子の古着屋に客を案内するようになる。昭和21年、ハヤカワと結婚。その数ヶ月後に母親が満州から引き揚げてくるが、父親は引き揚げ途中に死去していた。昭和24年時点で1女の母。昭和30年時点ではテレビに顔出し出演もしている。その後もテレビ局勤務を続け、鶴見事故英国海外航空機空中分解事故の取材の際は現場で会った元子に協力する。昭和46年、後進に道を譲るよう仄めかされる。
向井恭子(むかい きょうこ)
演 - 小島りべか元子のアナウンサー時代の同期生。横浜出身。愛称は淡谷のり子曲名にちなんで「ブルースちゃん」。研修後は元子と同じ東京放送局配属となる。元子と共に室長に9人分の退職届を提出したものの、室長の説得に応じ、9人の中で唯一放送局に戻る決断をし、後に『婦人の時間』担当となる。昭和30年時点では子ども番組を担当。昭和38年時点でも現役。
五十嵐悦子(いがらし えつこ) → 茜島悦子(あかねじま えつこ)
演 - 渡辺佐和子元子のアナウンサー時代の同期生。元々放送協会の秘書室勤務から放送員に応募して合格したため、放送協会の先輩でもある。あだ名は「ガラ」。研修後は元子と同じ東京放送局配属となる。昭和24年、相撲茶屋へ嫁ぐために寿退社、若女将となるが、昭和38年、元子の祝賀パーティーには姑の訃報のため参加を逃す。
浅岡喜美代(あさおか きみよ)
演 - 鳴海和世元子のアナウンサー時代の同期生。あだ名は「犬張り子」。研修後は元子と同じ東京放送局配属となる。
飯島トモ子(いいじま ともこ)
演 - 菅原香織元子のアナウンサー時代の同期生。同期から、トモ子という名前から「友=フレンド」と連想した「ふれちゃん」というあだ名で呼ばれる。山形生まれの仙台育ちのため、講師陣からイントネーションの違いを修正するよう指摘される。一度はアナウンサーを辞めて帰郷しようとするも、元子に止められ、花山宅に下宿し続けることとなる。研修後は仙台放送局配属となる。終戦後は復員した男性職員が増えたことにより、退職した模様。昭和24年時点で既婚だったことが判明。昭和38年には夫の会社の専務となっている。
青山光子(あおやま みつこ)
演 - 麻茶れい元子のアナウンサー時代の同期生。熊本県出身のため熊本弁訛りがある。北九州空襲のニュースを聞き、同地に住む姉の安否を心配する。あだ名は「薩摩焼酎」。研修後は鹿児島放送局配属となる。昭和38年、元子の特選受賞パーティに駆けつける。
三井良男(みつい よしお)
演 - 星充元子のアナウンサー同期生唯一の男性。大正13年10月5日生まれ、水戸出身。飯島の引越の手伝いに駆り出される。コーヒーが好物。あだ名は黒一点の敬意を込めて「オジサン」。研修後は広島放送局配属となるが、配属から僅か1か月で徴兵される。終戦後シベリア抑留を経て帰国。水戸で過ごすうちに立花より声がかかってNHKに復帰。昭和30年、NHK松江放送局に赴任し、偶然、琴曲演奏のために同局を訪れた陽子(後述)と会ったことから元子の所在を知り、大原家を訪問して実に11年ぶりに再会する。その後、NHK長野放送局勤務を経て、昭和38年時点では東京に勤務。
黒川由美(くろかわ ゆみ)
演 - 水島美奈子元子の先輩の放送員。責任感が強く、元子ら新人放送員の憧れの先輩。学徒出陣した恋人を明治神宮外苑競技場で見送った時の話を元子らに語ったことがある。昭和20年3月10日、東京大空襲の際に放送局に駆けつけようとし、途中避難した明治座で他の避難者らと亡くなり、放送局関係者初の戦争犠牲者となる。
近藤喜代(こんどう きよ)
演 - 仙北谷和子放送協会の演出家。元子らを厳しく指導する。戦後、放送協会に進駐軍の従軍記者らが東京ローズを探して押し寄せた際、元子らアナウンサーや室長らが戸惑う中、流暢な英語で応対して記者らを国際部へ案内する。恭子によると、その後も放送協会に常駐するGHQ職員と英語で堂々と渡り合っているという。
内田雅美(うちだ まさみ)
演 - 上岡一美
金太郎(きんたろう)
演 - 木の実ナナ[12]芳町芸者。本名は「池田鞠子」[注釈 2]。正大の徴兵を聞きつけると自らの上等の夏帯を売って天麩羅油一升を買って届けたり、赤飯の為の小豆を集めるために近所の子供のお手玉を買い集めたり、何かと世話を焼く。戦況悪化で芸者の仕事もなくなると、顧客だった社長の経営する軍需工場のお茶汲みとして勤務。その後、日本橋界隈の空襲で焼け出されたために桂木家に身を寄せるが、キン(次項)を順平と疎開させようとした際に啖呵を切ったことで桂木家を出る。その後の東京大空襲で消息不明になり、桂木家でささやかな葬儀が営まれる。
キン
演 - 菅井きん桂木家の使用人。息子・善吉が徴兵されて出征していった経験を持つ。桂木家の子供を孫同様に可愛がり、自らを「おキン婆や」と呼んでいる。昭和20年、順平と熊谷に疎開するが、東京大空襲のニュースを聞いて人形町に駆けつける。8月14日、熊谷で空襲を受け、翌15日に順平とともに帰京する。正大の葬儀後、桂木家で職人をしていた善吉が復員。善吉の結婚後、桂木家を出て息子夫婦と同居する。
善吉(ぜんきち)
演 - 小松政夫キンの息子。昭和21年に無事復員。仕事にも復帰し、草加を厳しく指導したために疎まれてしまう。後に、巳代子と藤井を結びつけるためについた彦造が咄嗟についた嘘がきっかけとなり、銀太郎(後述)と結婚することとなる。
彦造(ひこぞう)
演 - 森三平太「吉宗」職人。11歳のころから働いており、独身で家族はいない。愛称は「彦さん」。昔気質で、仕事に集中すると食事も後回しにする。
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