本島等
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これを広島大学の川口隆行[10]は「加害の認識と謝罪の徹底を通して原爆観の落差を埋めること、そして何よりも被爆体験の特権化による『被爆ナショナリズム』の解体にこそある」[11]とするが、右派や被爆団体は非難した。

2007年(平成19年)に防衛庁長官であった久間章生が「原爆投下は仕方が無かった」と発言して与野党や世論から大きな反発を受けた時に、「日本の戦争責任をもう一度考えるきっかけを与えてくれた」と理解を示して「当然の認識で僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判するのはおかしい。天皇陛下も原爆容認論だと批判するのか」と発言を支持した。
原爆投下に対する発言

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前述のように原爆投下を因果応報のような発言を述べている[12]
[質問]米国の原爆投下をどう考えるか。
[回答]『落とされるべきだった。(満洲事変から)15年間にわたるあまりに非人間的な行為の大きさを知るに従い、原爆が日本に対する報復としては仕方がなかったと考えるようになった』
[質問]原爆の持つ非人間性は。
[回答]『原爆による死には『極限の残虐』という言葉が使われるが、拷問で死ぬ前の隠れキリシタンの恐怖は、いかばかりだったか。南京大虐殺731部隊も残虐の極致だ。日本人の非人間性、野蛮が出ている』
[質問]現在の核兵器をどうとらえるか。
[回答]『今、核兵器では何千万という人々が死ぬ。おもちゃのような原爆は、当時の考え方からすれば通常武器の一種だったと考えざるを得ず、核兵器廃絶を考える基礎になるものでない。被害の大きさが違い比較にならない』
[質問]今の認識に至ったのはなぜか
[回答]『日本人の持つ原爆観が世界に通用しないことを痛感するようになった。原爆は中国など侵略を受けた国々にとって救世主だった。市長を16年間続けている間、被爆者問題について考え続けたが、日本人の野蛮は計り知れない。日本人全員が謝罪する義務を負っている』
[質問]被爆者団体の反発が予想されるが。
[回答]『撃たれた時もそうだったが、この発言を緩めるつもりはない。間違っていると思った時に声を上げるのが、われわれの任務だ。今年いっぱいかけて、これらの考えを論文にまとめたい』

以上は、共同通信社のインタビュー配信記事、1998年7月29日。
[質問]米国による広島、長崎への原爆投下についてどう考えているか。
[回答]『米国やアジア太平洋諸国は原爆投下を『正しかった』『天罰だ』『救世主だった』と思っている。確かに、日本がアジア・太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかった、やむを得なかった、と言わざるを得ない。東京大空襲沖縄戦も同じだ』
[質問]日本の行為の報いとして、原爆投下や東京大空襲、沖縄戦で多数の一般市民が殺されたということか。
[回答]『因果応報的であらっぽい考えといわれるかもしれないが、日本が戦争を仕掛けたときから、昭和天皇をはじめとする指導者はどういう報復があるか分かっていたはずだ』
[質問]原爆や空襲、沖縄戦の犠牲者に責任があるのか。
[回答]『戦争責任は昭和天皇をはじめとする戦争指導者だけでなく、マスコミにあおられて狂信的に戦争を進めた一般民衆にもある。全国民を裁くわけにはいかないので、東京裁判で指導者が裁かれた』
[質問]日本の「悪魔の所業」とは具体的に何を指すのか。
[回答]『条約を踏みにじって奇襲攻撃を仕掛けた日清日露戦争やアジア・太平洋戦争で行われた化学兵器生物兵器を使った大量虐殺。例えば、南京大虐殺、三光作戦、731部隊だ』
[質問]核兵器の使用は非人道的とは思わないか。
[回答]『1996年(平成8年)に国際司法裁判所は核兵器の使用を『一般的には違法』と判断したが、それまでは規定はなかった。当時の原爆は今の核兵器と比べれば、おもちゃのようなもので、通常兵器と変わらない。原爆による死を残酷だというが、南京大虐殺や三光作戦による死もすさまじい。書物によると、中国で日本軍に殺された人は1000万から1500万人、インドネシアでは400万人、フィリピンでは110万人。原爆や空襲犠牲者の数とは比べものにならない』
[質問]被爆者や遺族をはじめとして、世論は反発するのではないか。
[回答]『自分の信念を言っているだけだ。世界の人々の共感が得られない原爆観、戦争観ではだめだ、と訴えたい。近く論文にまとめたい』

以上は、産経新聞、1998年8月1日
出典・脚注^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、408頁。
^ [1]
^ “ ⇒『赦し―長崎市長本島等伝』”. 東日新聞. 2018年7月14日閲覧。
^ a b c d e f g 『本島等の思想』長崎新聞社、2012年。 
^ ニュースは語る 戦後五〇年 - 長崎新聞社
^ 田尻は2000年(平成12年)に刑期満了で出所し、団体の創始者と養子縁組して改姓して若島和美となり、団体幹部を務める。
^ 韓国の被爆者団体と長崎県被爆2世教職員の会が設けた賞。
^訃報:本島等さん92歳=元長崎市長 毎日新聞2014年10月31日
^原爆と戦争責任(本島等発言記録)
^ 広島大学学術・社会産学連携室研究企画室 (2015年). “ ⇒川口隆行(大学院教育学研究科)”. 広島大学研究者総覧. 広島大学. 2018年8月23日閲覧。
^川口隆行「被害と加害のディスクール」雑誌「原爆文学研究」第3号 (2004.08)
^この人を見よ ?本島 等氏の言動の先にあるもの? 飯嶋七生 自由主義史観研究会

関連書籍

『長崎市長への七三〇〇通の手紙』
径書房 第一版:ISBN 4770500718 増補版:ISBN 4770500777

長崎市長のことば 本島等 岩波ブックレット 1989(天皇戦争責任発言に関して本島氏に聞く)

昭和を生きて 沢地久枝 岩波ブックレット 1991(戦争責任について)

タブーへの挑戦:本島発言に市民は 言論の自由を求める長崎市民の会編 1989(本島氏の発言を支持する市民の声)

天皇制と小さな民主主義:本島長崎市長銃撃に抗する市民たち 言論の自由を求める長崎市民の会編 明石書店 1990(本島氏銃撃事件へ発言する市民の声)

「なぜ平和宣言で「謝罪」を言ったか」 本島等 論座 (通号 31) [1997.11]

「広島よ、おごるなかれ―原爆ドームの世界遺産化に思う」、平和教育研究(24)(1997.4)→日本原爆論大系第7巻:歴史認識としての原爆 日本図書センター 1999に収録

『赦し 長崎市長 本島等伝』横田信行 にんげん出版:ISBN 9784931344211

原爆・戦争・ヒューマニズム 「本島等の思想」 平野伸人 編・監修 長崎新聞社 2012

関連項目

進歩的文化人

昭和天皇の戦争責任論

長崎市長銃撃事件

若島和美(旧姓・田尻)










長崎市長
官選

区長

家永恭種1878.10.21-1879.1.24

稲田又左衛門1879.1.27-1880.8.28

朝永東九郎1880.9.21-1886.8.12

金井俊行1886.8.12-1889.3.31

市長

北原雅長1889.6-1895.6

横山寅一郎1895.6-1907.2

北川信従1907.5-1913.5

薄定吉1913.8-1913.9


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