本多知恵子
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ほんだ ちえこ
本多 知恵子
プロフィール
本名本多 知恵子
[1]
性別女性
出生地 日本東京都
出身地 日本長野県長野市
死没地 日本
生年月日 (1963-03-28) 1963年3月28日
没年月日 (2013-02-18) 2013年2月18日(49歳没)
血液型A型[2][3][4]
身長144 cm[5]
職業声優女優
事務所青二プロダクション(最終所属)[6]

声優活動
活動期間1983年 - 2013年
ジャンルアニメゲーム吹き替えナレーション
デビュー作素形真知子(『プラレス3四郎』)
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本多 知恵子(ほんだ ちえこ、1963年[7]3月28日[3][6][8] - 2013年2月18日[9])は、日本声優女優

出身地については、思春期を過ごした長野県とされることがあるが[10][11][12][5]、出生から幼稚園までを過ごした東京都とするプロフィールもある[4][13][14][15][16][17]

代表作は『重戦機エルガイム』(ファンネリア・アム)、『昭和アホ草紙あかぬけ一番!』(一の瀬雪華)、『機動戦士ガンダムΖΖ』(エルピー・プルプルツー)、OVA『冥王計画ゼオライマー』(氷室美久)、『花の魔法使いマリーベル』(マリーベル・フォン・デカッセ)など[18]
生涯

1963年(昭和38年)3月28日に東京都で一人娘として出生。祖父が知恵子と命名した[19]。その後、埼玉県川越市で幼稚園時代と小学生時代を過ごす[19]。両親の離婚により小学5年生から母親の実家である長野県に引っ越し、長野市立若槻小学校へ転校。以後、ピアノの先生である母のもと、母子家庭で育つ[19][20][21]。中学時代はテレビアニメ『海のトリトン』や『機動戦士ガンダム』に親しむ生活を送っていたが、その当時は自分で演技がしたいという考えはなく、軟式テニス部を経てコーラス部に所属していた。当時は女子校だった長野市立皐月高等学校(現長野市立長野高等学校)へ進学したが、未熟児として生まれての少女時代は喘息持ちで体が弱かったことや母子家庭であることから、志望していたジャーナリストへの進路を反対され、目標を見失って登校拒否になった。これを心配した同級生に誘われ、3年生の文化祭で参加したミュージカル11ぴきのねこ』のにゃん蔵を演じてアドリブが受けた快感から、これをきっかけに俳優を志すようになる[8][19][20]。さらに『あしたのジョー』の再放送で声優という職業を意識し出すようになった[10]うえ、当時は深夜ラジオが流行していたことからラジオのDJをも目指し[20][22][12]、高校を卒業した1981年にテアトル・エコー付属養成所と俳協付属養成所を受験した結果、俳協付属養成所に11期生として合格する。長野県から上京し、サッポロライオンに就職して銀座ビヤホールにウェイトレスとして勤務し、夜には養成所で演技の勉強をするという日々を送る[23]。養成所同期生には室井深雪などがいた。

養成所では半年に1度の進級試験を経て[24]、卒業公演では主役を演じて[25]予想もしなかったダークホースが出現したとその演技が審査会で話題になり、1983年3月に東京俳優生活協同組合(俳協)の正式所属となる。同時にマネージャーの薦めで4月に受けたテレビアニメ『プラレス3四郎』のオーディションに合格し、1983年6月に素形真知子役でデビューを果たした[23]

1984年には、テレビアニメ『重戦機エルガイム』でヒロインの1人ファンネリア・アム役に起用される。アムがアニメ雑誌の人気投票で票を集めたことで、自身もアニメファンから存在が認知されるようになった[26]。さらに、1986年の『機動戦士ガンダムΖΖ』で演じたエルピー・プルアニメグランプリの女性キャラクター部門や日本アニメ大賞のファン大賞女性キャラクター部門を受賞するなどの高い人気を得たため、人気声優の一員となった[4]1986年にはOVA『エルフ・17』で主役を演じた[27]

デビュー当初は俳協養成所講師だった演出家の手塚敏夫が主宰する劇団「-劇舎(SHIBAIYA)-燐」にも在籍し、声優業と並行して舞台女優としても活動していた[28]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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