未来
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判断に用いる予測法はデルファイ法、scenario building、シミュレーションなどのように直感的な判断、推測、確率の推測といったものを結合させる。

予想(: prediction)という語は予測(: forecasting)と同様であるが未来に関する根拠のない主張も含むなどより一般的に用いられる。未来を予想するための体系的な研究は占星術、腸卜、占いのような実践とともに始まった。これらは皆、今日では疑似科学とみなされているが、あらかじめ未来を知りたいという人間の欲望から起こった。

未来学のような近代的な研究では技術や社会に関する予想がなされるが、より昔の実践では天気の予想のように科学的モデルや因果モデルの恩恵を受けている。未来を知るための認識方法の発展にもかかわらず、多くの自然的・社会的過程の不規則性カオス性により未来を正確に予測することが困難であり続けている。
未来学

未来学とはありうる、好ましい未来やそのもとにある世界観・神話を想定する学問・技術・実践である。未来学では何が存続しそうで、何が変化しそうで、何が新しく登場しそうかを理解することを追求する。そのためこの分野では過去や未来を体系的に傾向性に基づいて理解することや未来の出来事や傾向の蓋然性を推計することも行われている。この方法の鍵となるのは個人・組織・政府の成す決定が未来に及ぼす潜在的な影響を知ることである。指導者は自身の意思決定のためにこういった研究を援用する。

「未来をつかみなさい、さもなくばあなたが未来に掴まれるであろう。
 — パトリック・ディクソン、Futurewiseの著者」

未来学は学際的な分野であり、過去と現在の変化を研究し、一般的な戦略と専門的な戦略、未来に関する意見を総合・分析する。未来学には洞察を深めありうる未来を調査しようという探求の中で資料や傾向、変化と不変性の原因を分析することが含まれる。現代の実践者は画一的な未来よりも代替的・多元的な未来を強調し、ありうる好ましい未来の創造に対して予想や可能性の限界を強調する。

未来学はたいていの場合は三つの要素により他の学問分野による研究から区別される(といってもあらゆる学問は重なっている部分があるものであって程度の違いに過ぎないのだが)。まず、未来学はしばしば可能な未来だけではなく起こりそうで好ましい「ワイルド・カード」な未来を考察する。次に、未来学は典型的にはさまざまな学問分野から得られた洞察に基づいて全体的・体系的な視点を得ようとする。三つ目として、未来学では未来に関する支配的に主張されている見方の裏に隠れた前提を取り出そうと挑戦する。つまり未来とは空虚なものではなく隠れた前提をはらんでいる。

次の景気循環における利率の変化や経営者・投資家の短期的な動きといったものを予測する経済学者の研究は一般的には未来学には含められない。ほとんどの戦略設計は1?3年間の対象期間に好ましい未来を操作する計画を進めるがこれも未来だとは考えられない。しかしありうる未来の出来事を推測し、またそれに対して強固であろうとする長い計画対象期間を持つ計画や戦略は戦略的予測と呼ばれる未来学の一分野である。

超自然的な方法によると称する未来予想を行う者も未来学には含まれない。一方、そういった人々が用いるモデルや彼らがそのモデルに与える解釈は未来学の研究対象となる。
物理学未来光円錐、現在、過去光円錐を平面上に図示したもの。

物理学においては時間は4番目の次元である。時空は重力のような力によって曲がり伸び縮みする一種の構造と理解できると物理学者は主張する。古典力学では未来は時間軸の片側であり、全ての観察者にとって同じものである。特殊相対性理論では時間の流れは観察者の基準系に応じる相対的なものである。観察者が基準となる物体から離れる速度が大きいほど物体が時間を通じて動く速度が小さく見える。ゆえに、未来はもはや客観的な概念ではない。さらに重要な概念として絶対的未来つまり未来光円錐がある。人は空間の三つの次元においてはそれぞれ二つの向きに進めるが、時間に関しては一つの向きにしか進めないと多くの物理学者は主張する[7]

特殊相対性理論の帰結の一つとして、光速度に近づくにつれて、観測者の時間を遅延させことが出来るというものがある。このとき、観測者以外の世界では時間が進んでいるため、結果的に未来へ行ける(ただし帰ってくることはできない)というものがある。この効果は通常の条件では無視できる程度のものだが、無限のエネルギーによる光速度へ近似した場合、時間停止に近似した状態となる。

超高速での宇宙旅行においては時間の流れが大きく変わる。多くのサイエンス・フィクション(例えば『デジャヴ』)に描かれているように短時間であっても亜光速で移動するとずっと未来の地球に帰還することになる。

GPSなどの測定ではこの時間誤差を補正しなければ正しく位置観測が行えない。

ワームホールを用いて時空上の二つの場所を結び付けると理論上は時間旅行ができると主張する物理学者もいる。物理学者ミチオ・カクはこの理論上のタイムマシンに力を与えて「時空の構造内に穴をあける」ためには星一個分のエネルギーが必要だと指摘した。また別の理論では宇宙ひもによって時間旅行ができるという。
哲学「未来に関する問題はそれが過去よりもずっと知りがたいということだ」 ジョン・ルイス・ギャディス、『歴史の風景――歴史家はどのように過去を描くのか』[8]

時間の哲学における現在主義とは現在だけが存在して未来や過去は実在しないという立場である。存在は論理的構造あるいはフィクションだと解釈される。現在主義と対立する立場として永遠主義があり、過去のものや未来のものも永遠の内に存在すると考える。(多くの哲学者は支持しないが)時間の成長するブロック宇宙理論(英語版)と呼ばれることがある立場もある?これは過去と現在は存在するが未来は存在しないと考える[9]

現在主義はガリレイ流の、時間は空間から独立でないとする相対主義とは調和するが、多くの人が議論の余地のないものと考える別の哲学的命題と組み合わさっているローレンツアインシュタインのような相対主義とは矛盾する可能性がある。一方ヒッポのアウグスティヌスは、現在とは過去と未来の境界であり広がりのある時間をそのうちに含まないと主張した。

アウグスティヌスに対立する意見として、意識的経験こそが時間の中で広がりを持つのと主張する哲学者もいる。例えばウィリアム・ジェームズは、時間とは「短い持続であり、我々はこの持続の中で直接的・持続的に経験を得ることができる[要出典]」と述べた。また、アウグスティヌスは神は時間の外部に存在して永遠の中で常に現存しているとも主張している。古い時代の現在主義哲学者には仏教徒(インド仏教の流れにおいて)もいる。仏教哲学の現代の主導的な研究者にTheodor Ippolitovich Stcherbatskyがおり、仏教の現在主義に関して広範な著述を行っている。:

「過ぎ去ったものは実在せず、未来のものも実在せず、想像されたもの、ここにないもの、心的な物も[...]実在せず[...]究極的に実在するものは現在存在する物理的な能動性の(つまり因果作用の内にある)運動だけである[10]。」

心理学

動物行動学者は動物の行動は信号刺激やその動物が過去に獲得した別の習性に大きく依拠すると考えるが、人間の行動は未来に対する予想と関係することが知られている。予想に基づいた行動は例えば楽観主義悲観主義希望のような心理学的な将来観の産物である場合がある。

楽観主義とは世界を肯定的な場所だと見なす人生観である。楽観主義はコップに水が半分しか入っていないのではなく「半分満たされている」と考えるものだとされる。楽観主義は悲観主義の反対の立場である。楽観主義者は人々や物事は本来良いものであるからほとんどの状況は最後には上手くいくものだと考えがちである。希望とは人生の中の出来事や状況から良い結果がもたらされると信じることである。希望はある量の絶望、欲望、期待、渇望、あるいは忍耐を暗示する―つまりその悪い結果が起こると考える根拠があるときですら良い結果が起こりうると信じることである。「希望に満ちていること」は希望とは感情の状態である点で楽観主義とはややことなる。対して楽観主義は肯定的な態度を導く慎重な思考の傾向を通じて到達できる。
宗教

宗教ではカルマ来世終末論といった時間の終わりや世界の終わりはどうなるかを研究する話題を扱う際に未来が考察される。宗教では多くの預言者が未来を変える力があるとされる。有名な宗教的人物は予言者占い師のように未来が見通せると主張する。「来世」という言葉は幽霊のように人間(あるいは動物)が肉体的な死を迎えたのちもその霊魂精神が存続することを指して用いられる。たいていの場合死んだ人は生きている間の行動の正しさに応じて特定の領域つまり存在の地平面に行くとされる。

死後の世界には霊魂が別の肉体に移る(転生)ためのある種の準備を含むと信じる者もいる。死後に関する思想の多くは宗教秘教形而上学に由来する。一方、こういった問題は超自然的であるから実在しないかあるいは知りえないと考える唯物論的還元主義者のように、死後の世界の存在に懐疑的であったり究極的には存在しないと考える人々もいる。形而上学モデルとしては、概して無神論者は来世が死んだ人を待ち受けると考えている。仏教のように非-有神論的な宗教の信者の中にはを前提とせずに転生のような死後の世界を想定しがちな者もいる。

不可知論者は一般的には、神の存在のように霊魂や死後の生のような超自然的現象は証明不可能なので知りえないという立場をとる[11]。多くの宗教は、キリスト教イスラームその他のように別の世界でも霊魂が存在すると考えるか仏教やヒンドゥー教の多くの宗派のようにこの世界の中で転生を繰り返すと考えるかに関わらず、死後の状態は生前の行いの報酬あるいは懲罰であると考える。この例外としてキリスト教プロテスタントカルヴァン主義は例外であり、死後の状態は神の恩恵であって生前の行いによって獲得できるものではないと考えられる。

終末論神学哲学の一分野であり、一般に世界の終わりと呼ばれる世界の歴史の最後に来る出来事や全人類の究極的な運命を扱う。神秘主義においてはこの語は通常の存在の終了と神への再結合を比喩的にさすが、多くの伝統宗教では聖典伝承に予言されたこの世界で未来に起こる出来事であると説かれる。より一般的には終末論は預言者や預言者の時代、終末のような概念を扱う。


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