『……網膜上でイメージが持続することにより、運動する物体は増殖し、変形し、連続して生起し、振動のように、空間の中を通過する。したがって疾走する馬の脚は4本ではなく20本であり、それらの動きは三角形をなす……。』(未来派絵画技術宣言より引用)ミラノ、1910年4月11日
画家 ウンベルト・ボッチョーニ
画家 カルロ・ダルマッツォ・カッラ
画家 ルイジ・ルッソロ
画家 ジャコモ・バッラ
画家 ジーノ・セヴェリーニ
未来派運動指導部:ミラノ、ヴェネツィア通り61番地 日本における未来派の受容は極めて早く、マリネッティの未来派創立宣言[2]が発表されたわずか3ヶ月後には「スバル」(5月号)誌上に森?外による一部の翻訳が掲載された[3]。1912年にはマリネッティから日本に送られた資料により図板も多くの日本人の目に触れるようになった。14年には実作が紹介されている。その理論の本格的な紹介は木村荘八によってなされ、1914年には海外の未来派関係文献を翻訳収録した『芸術の革命』(洛陽堂)を出版、さらに1915年には自らの著作『未来派及立体派の芸術』(天弦堂)において包括的に論じている。その後、1917年のロシア革命を避ける形で「ロシア未来派の父」ダヴィド・ブルリュークらロシア未来派の面々が日本に移住して来て、尾竹竹坡の八火社などと交流、各地で大規模な展覧会を開くに至って、未来派と言うものが日本でも本格的に知られ始めるようになる。1923年には木下秀一郎とブルリュークの共著による本格的な未来派の紹介書『未来派とは?答へる』(中央美術社)が出版され、美術家や文学者に広く影響を与えた[4]。 日本における主な未来派としては、大正9年(1920年)に未来派美術協会を設立し独自の美術表現をした普門暁(ふもん・ぎょう;1896-1972)などがある。
日本における未来派
日本語文献
『現代の絵画15 未来派の宣言』(平凡社、1975年)
田之倉稔 『イタリアのアヴァン・ギャルド 未来派からピランデルロへ』(白水社 1981年、新版2001年)
キャロライン・ティズダル、アンジェロ・ボッツォーラ 『未来派』(松田嘉子訳、パルコ出版 1992年)
セゾン美術館編 『未来派 1909-1944』 エンリコ・スポルティ、井関正昭構成・監修(東京新聞社、1992年)
井関正昭 『イタリアの近代美術 1880?1980』(小沢書店 1989年)
井関正昭『私が愛したイタリアの美術』(中央公論美術出版、2006年)
井関正昭『未来派 イタリア・ロシア・日本』(形文社、2003年)
図録『生誕140年 尾竹竹坡展』 遠藤亮平・菊屋吉生・坂森幹浩・堀川浩之 解説(富山県水墨美術館、2018年)
脚注^ 福田和也 『イデオロギーズ』新潮社 2004年5月
^ a b c “ ⇒フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ|未来派宣言|ARCHIVE”. ARCHIVE. 2023年12月14日閲覧。
^ こうした初期の未来派受容については、大谷省吾「イタリア未来派の紹介と日本近代洋画」(筑波大学芸術学研究誌 9 105-126頁, 1992年03月)を参照
^ ただし、以上の経緯から、日本においてブルリュークを通じて受容された未来派が「イタリア未来派」ではなく「ロシア未来派
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