木羅斤資
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^ 対応するに適した異なった史料が確認されず、記事自体も説話的な内容が多くて歴史的事実を正確に復元しきることが難しく、事件の内幕を断定して明かすことが困難である問題点はあるが、『日本書紀』の普通の記事たちのように説話的な側面が強いということや、天皇の権威を高めるために倭の役割を誇張した(例を挙げると、倭が朝貢しない新羅を討つために兵力を派遣したという)記録だけ勘案しながら見るというのなら、全体大勢の流れの中で一部の事実性は認定することができるという指摘もある(李熙真, 同書, p.91)。
^ 盧重国は、沙至比跪[注釈 5]が加羅国を討って滅亡させたという記述に対して、沙至比跪側、百済の沙氏勢力[注釈 5]の動向と関連させて調べてみなければならず、共に伽耶7国を平定するのに一定の功労があったのにも関わらず、木羅斤資が伽耶地域の稠賦統責権を掌握するようになったことに反発した沙氏勢力間に繰り広げられた紛争で、沙氏勢力は一時、勝利したが(加羅国滅亡)、木羅斤資の軍によって加羅国が復興され、沙至比跪も石窟に入って死んだということは、沙氏勢力が木氏(木劦氏)勢力に押し退けられたことを反映していると見た。この事件を契機に木羅斤資、木氏勢力は伽耶地域に対する統制権をいっそう確実に掌握するようになり、その基礎の上で木羅斤資の息子の木満致が伽耶地域で“専横”することのできる土台が用意されたというものである(盧重国, 同書, p.159)。

注釈^ a b c d e f g h i j k l 『日本書紀』に示された読みによる。『日本書紀I』, 2003年, pp.303-304,307-308
^ a b 「斤資」を漢音で「きんし」と読まず、呉音で「こんし」とするのは、呉音が主流だった『日本書紀』成立当時の読み癖によるものだが、当時の倭および朝鮮半島の言語の音韻を反映している可能性もあるためである。
^ a b 木を、羅斤資を名と見た場合。
^ a b 木羅を姓、斤資を名と見た場合。
^ a b c d 沙沙奴跪と沙至比跪は、上掲, 『日本書紀I』, 2003, pp.303,307に附された「ささなこ」と「さちひこ」という古訓(日本書紀に特記された古い訓読み)や、倭国から派遣されたという記述からして倭人であった可能性もあるが、百済宮廷の貴族であった大姓八族に沙氏があるうえ、明確に倭人なら、「*篠奈古」「*幸彦」などと表記し、「沙沙奴跪(ささなこ)と訓む」「沙至比跪(さちひこ)と訓む」書くはずなので、倭国に駐留していた沙氏の百済人であった可能性が高いと言える。
^ 慶尚南道昌寧の古称で、『魏志』辰韓伝に見える不斯国にあたる(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 慶尚南道金海で、『魏志』倭人伝狗邪韓国上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 慶尚北道慶山の古称で、雄略天皇代から欽明天皇代にかけて、加羅・新羅両者の和戦問題にあたって重要な地点となる(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 慶尚南道咸安の古称で、『魏志』の弁辰の安邪国。広開土王碑に「安羅人戍兵」と見える。欽明天皇23年、任那の官家(ヤマトノミコトモチ)の滅亡と共に亡んだ(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 慶尚南道陝川の古称「大良」(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 欽明天皇5年3月条に㖨淳として見え、慶尚北道大邱にあった加羅諸国中の1国で、新羅に近接し、交通上の要地であった(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 慶尚北道高霊で、加羅国が新羅の領域となったのは欽明天皇23年で、任那諸国の中では最後まで新羅と戦った最有力国だった(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 古奚津は、全羅南道康津の地に比定され、忱弥多礼とは、すなわち済州島へ渡る要津であったと考えられている(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 全羅南道羅州にあてるのが有力(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 全羅南道金堤である(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 忠清南道新豊(忠清南道には新豊里(ko:???)が三つもある)の古称「伐音支」に比定する説があるが、一連の戦線からはあまりにも北方に離れすぎているので疑問視されている(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 全羅南道羅州郡(現:羅州市)潘南(朝鮮語版)の地と考えられている(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ ここでは、全羅北道井邑市古阜面(朝鮮語版)斗升山城(朝鮮語版)に比定されているが、百済始祖伝説温祚が都を建てて初めて王を称したという慰礼城や、雄略天皇20年条に引く『百済記』に見える慰礼や、『釈日本紀』に引く『筑前国風土記』逸文に、新羅の王子天日槍が降臨したという意呂山など、百済国の聖地を指し、必ずしも一定の場所ではなく、肖古王代ならば王都漢城が意流にあたるのではないかという説がある(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ a b 『日本書紀』に示された読みによる。なお、「スキ」とは古代朝鮮語百済語)で「村」を意味するという(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.304)。
^ 百済滅亡の時、鬼室福信の百済復興軍の拠点となった周留城、すなわち天智天皇元年3月是月条に見える疏留城(そるさし)、12月条に見える州柔(つぬ)にあたるという(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ 辟中すなわち全羅北道金堤付近の山城とされている(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。
^ a b 『日本書紀』に示された読みによる(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.304)。なお、「ムレ」とは古代朝鮮語で「山」を意味し、古語(中期朝鮮語)や方言として残る固有語「?(山)」の更なる淵源ではないかと推測されている。
^ 全羅北道古阜(朝鮮語版)にあたるという(上掲, 『日本書紀I』, 2003, p.310)。

参考文献

千寬宇(:ko:???)
『伽耶史研究(?????)』一潮閣(???)、1991年。 

李熙真(:ko:???)『伽耶政治史研究(???????)』学研文化社(?????)、1998年。 

盧重国『百済社会思想史(???????)』知識産業社(?????)、2010年。 

金鉉球『任那日本府説は虚構なのか(??????? ????)』(株)チャンビ((?)??)、2010年。 

井上光貞監訳、佐伯有清・笹山晴生 訳『日本書紀I』(再版)中央公論新社〈中公クラシックス〉、2010年、303-304,307-308,310頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 9784121600578
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