木村屋總本店
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1874年(明治7年)には、創業者の木村安兵衛とその次男で2代目の英三郎が、あんぱんを考案し、翌年には明治天皇に献上された(この時に木村屋の特徴でもあるの塩漬けが、英三郎のアイデアで取り入れられた)。また、1900年(明治33年)には3代目・儀四郎がジャムパンを考案した。これらのパンは現在でも同社で人気の看板商品として親しまれている。

「むしケーキ」とは従来の蒸しパンを改良したもので、これも同社が元祖の商品である。

千葉県柏市の直営所併設工場に加え、東京都江東区の東京工場を合わせた2工場で製造を行っている。

かつて神奈川県綾瀬市にあった「藤沢工場」は、2002年(平成14年)に三芳工場へ統合され、操業を終了した。

その三芳工場も業務を柏工場へ移管し、2021年11月をもって操業を終了した。

首都圏百貨店を中心とする21ヵ所の直営店舗を運営するほか、コンビニエンスストアスーパーマーケット等で製品が販売されている。前者の直営店舗で販売される商品には「銀座木村家」、後者で販売される商品には「木村屋總本店」のブランドが使用されている。

カフェ事業として東京麹町に「Don Meister(ドンマイスター)」を、有明に「Don Meister+(プラス)」を展開。

沿革

1869年(明治2年)- 木村安兵衛東京日陰町(現:港区新橋付近)に「文英堂」を開業。

1870年(明治3年)- 京橋区尾張町(現:中央区銀座付近)へ移転、屋号を「木村屋」へ改称する。

1874年(明治7年)- 酒種あんぱんを発売。銀座に移転し木村屋工場創業[6]

1875年(明治8年)- 明治天皇酒種あんぱんを献上、宮中御用商に加わる。

1893年(明治26年)- 静岡新潟金沢に直売店を開く[6]

1897年(明治30年)- 台湾基隆に進出[6]

1899年(明治32年)- 京浜地方の菓子店を集結させた近代ビスケット工場「東洋製菓」設立に参加(翌年設立)[6]

1900年(明治33年)- 東洋製菓のジャムを挟んだビスケットからヒントを得てジャムパンを考案し発売[7]

1901年(明治34年)- 東洋製菓に倣って機械化を図る[6]

1902年(明治35年)- 木村屋系統店による木村屋世襲会を結成し、木村屋統一餡として製餡専門工場の根津製餡所へ外注開始[6]。ビスケット製造の木村屋製菓合資会社(代表は木村屋出身の志村吉蔵)設立[6]

1903年(明治36年)- 第五回内国勧業博覧会を契機に大阪日本橋に進出[6]

1904年(明治37年)- 日露戦争が始まり、軍用パン製造のため工場増設など事業拡大する[6]

1905年(明治38年)- 大連に進出[6]

1911年(明治44年)- 京城平壌に進出。軍需景気により平沼製菓を買収し、日本製菓を設立[6]
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