木村カエラ
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東京都[1]足立区綾瀬[2][3]出身、夫は俳優の永山瑛太、義弟は俳優の永山絢斗

事務所は、ソニー・ミュージックアーティスツ(T-BOOMにも在籍)から事務所分割によりSMAエンタテインメントへ移籍後、事務所再統合により再びソニー・ミュージックアーティスツに所属。
来歴

小学校6年生のときに原宿カットモデルとしてスカウトされたことがきっかけで、雑誌「CUTiE」(宝島社)の読者モデルとなる[6][注 1]

中央区立佃中学校[8]時代、スパイス・ガールズや芸能活動をしていた同級生たちに刺激を受けて歌手を目指す気持ちが強くなる[7]

2001年、「ミスセブンティーン2001」(集英社主催)に選出され、ファッション雑誌「SEVENTEEN」の専属モデルとなる[6]。モデルの仕事の合間にバンドの練習に明け暮れる日々を送る[7]

2002年、インディーズバンド「ANIMO」を結成、「katie」という名前でボーカルを担当[7]

18歳の時、当時所属していたモデル事務所のスタッフに誘われて行ったYUKIのライブを見て、大学進学をやめて歌手を目指すことを決意[7]。なお、高校の同級生にゴールデンボンバー鬼龍院翔がおり、同じクラスだった[9]

2003年3月31日、神奈川県のテレビ局・テレビ神奈川(tvk)制作の音楽情報番組『saku saku』でテレビ初登場[10]。以後、2006年3月まで番組MCを務めた[11]

2004年5月10日、レギュラー出演していた『saku saku』の企画でシングル「Level42」を390枚限定で販売したところ、発売当日3分で完売[12]。6月23日に1stシングル「Level42」で日本コロムビアからメジャー・デビュー[10]。12月8日に1stアルバム『KAELA』を発売、オリコン週間アルバムランキングで初登場8位を獲得[13]

2005年3月30日に3rdシングル「リルラ リルハ」を発売、オリコン週間シングルランキングで初登場3位を獲得。同年春にセブンティーンモデルを卒業。10月5日に奥田民生プロデュースによる4thシングル「BEAT」を発売、同月29日に奥田と共演した初主演映画『カスタムメイド10.30』が公開され、女優デビューを果たした[14]

2006年2月、キリンラガーCMソングのために“Sadistic Mica Band Revisited”として限定復活したサディスティック・ミカ・バンドにフィーチャリング・ボーカリストとして参加[15]。正式に再結成されたサディスティック・ミカ・バンドのボーカルに迎えられ、10月25日にカエラの名前を入れた“Sadistic Mikaela Band”名義で、バンドとしては約17年ぶりとなる復活アルバム『NARKISSOS』をリリース[16]

2007年2月14日に3rdアルバム『Scratch』を発売、自身初のオリコン週間アルバムランキング1位を獲得[17]。4月10日に全国ツアー『LIVE TOUR 2007「Scratch」?上がってますってばTOUR?』を開始し、6月15日に全国ツアーの追加公演で、自身初の日本武道館での単独ライブを行った[18]。12月8日、日本武道館で行われたチャリティライヴ、『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007』に出演し、奥田民生と「In My Life」で共演した[19]。12月19日・20日、自身が企画したイベント「オンナク祭オトコク祭」を開催[20]

2008年、CGアニメ『The World of GOLDEN EGGS』とコラボレーションした日産自動車『NOTE』のテレビCMで自身初となるアニメ声優に挑戦[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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