陸地の幅が最も狭くなるのは平壌のやや北の平安南道 - 咸鏡南道だが、とくに人文地理学で「朝鮮半島」と言った場合は半島最狭部より北の、豆満江や鴨緑江などによって隔てられる伝統的な中朝国境より南を指すのが一般的であり、大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を擁する。
済州島を含めた朝鮮地域全体を指して用いられることも多い。このように、自然地形の名称というよりは政治的・文化的・歴史的な文脈において、朝鮮の同義語として使われることが少なくない。 古くから朝鮮半島地域をあらわす名称として「韓国」(三韓など)と「朝鮮」(箕子朝鮮など)という呼び名が存在しており、朝鮮半島と呼ぶか、韓半島と呼ぶかという呼称の問題がある。 朝鮮半島はユーラシア大陸の東端に位置し、南北に長く、約1000キロメートルにおよび、古くは「三千里」と数えられ、それが国土領域を表現する愛称となった[2]。 ユーラシア大陸から日本列島の九州に向かうような形をしている。東側を日本海(韓国等では東海と呼称)、西側を黄海、南側の日本とは対馬海峡西水道(朝鮮海峡)にて隔てられている[2]。北端は一般的には北朝鮮と中国の境界、すなわち鴨緑江と豆満江及び白頭山山頂とされる。 韓国の面積は日本の約26%[注釈 1]、北朝鮮の面積は日本の約32%[注釈 2]、朝鮮半島全体の面積は、日本の約58%[注釈 3]、日本の本州の96%[注釈 4]、イギリスのグレートブリテン島とほぼ同じ面積である[注釈 5]。 人口はおよそ7,600万人。人口密度の高さは世界有数であり、日本を超える。 朝鮮半島は中国大陸と同じく中国地塊に属する安定大陸(安定陸塊)で、先カンブリア時代には原型が出来上がっていたと考えられる。非常に古く安定した大地のため、日本列島に比べて地震が非常に少なく、また済州島を除いて火山も稀である。西側南部と対馬海峡側の海岸線はリアス式海岸になっている。 黄海に面した西側は平野が多く農地に適しており、古くから穀倉地帯として重要である。一方、日本海に面した東側は太白山脈をはじめ多くの山地がそびえており、平地は非常に少ない。半島は西朝鮮湾と東朝鮮湾に挟まれた北緯39度線よりやや北方で最も狭まっており、最狭部より北方は黄海沿岸部を除いて海抜1000メートルを越える狼林山脈等の山地や蓋馬高原が卓越しており、農業には不向きである(特に白頭山付近は2000メートルを上回る)。 朝鮮半島の気候は、南部は温暖で湿潤な亜熱帯で夏は蒸し暑い。北部は湿潤大陸性気候であり、冬の寒さは非常に厳しい。朝鮮半島の中で最寒の地とされるのは、鴨緑江上流の中江鎮 朝鮮戦争によって生じた軍事境界線を中心とした幅4キロメートルの非武装地帯は地雷原のため、民間人は立ち入ることができない。そのため、渡り鳥などが集まる世界有数の野生生物の生息地となっている。 中国の史書によると、3世紀頃には朝鮮半島北部や東北部沿岸には夫余系民族、南部には韓人と倭人が住み、西北部は漢や魏などの郡が置かれて移民の漢人も住んでいた。4世紀頃には高句麗領に夫余族の高句麗人が、百済に百済人(支配層は夫余族、被支配層は韓族)が、新羅・伽耶に韓族の新羅人と伽耶人が居住し、7世紀、新羅により統一されると民族統合が進んだ。その後、ツングース系女真族の金朝の南下とモンゴル帝国の侵攻により、鴨緑江と豆満江一帯は再び民族混住地域となった。 一方、高麗時代にかけて異民族が帰化した数字は23万8000人余りに達する[3]。あるいは契丹が滅亡して契丹人が各地に散る時に、高麗に入って来て暮らした契丹人は100万人に達するという記録もある[4]。
呼称
地理
住民「朝鮮民族」および「朝鮮の歴史」も参照