朝鮮人民共和国
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呂運亨は、建国宣言と同時に建準を中央人民委員会及び人民委員会[注 3] として改編し、実体のある政府の構築を急いだ。だが、連合国軍として朝鮮半島に上陸したアメリカ軍は臨時政府を認知せず9月7日軍政の実施を宣言し、9月11日に朝鮮総督府の統治機構を基にしたアメリカ軍政庁(USAMGIK)を設置した。また、8月の対日参戦時点から朝鮮進駐を開始していたソ連軍10月3日ソビエト民政庁の設置を宣言し、10月10日にUSAMGIKが正式に臨時政府の政府承認を否定したことが決定打となり、臨時政府は瓦解した。また主席を打診された李承晩は、11月7日のソウル中央放送局を通じたラジオ演説で「私は重慶政府の一員だ。臨時政府が戻ってきて正式な協議があるまでは、いかなることにも関与できない」として就任を固辞した[3]

その後、ソ連軍統治下の朝鮮(北朝鮮)ではソビエト民政庁が既存の人民委員会を統治に活用し、後に北朝鮮人民委員会、更に朝鮮民主主義人民共和国へと発展した。一方、米軍統治下の朝鮮(南朝鮮)では呂運亨を始めとする中央人民委員会のメンバーが一介の政党として朝鮮人民党を結党し、1946年2月には他の左派民主主義民族戦線を結成した。しかし、1947年呂運亨が右翼に暗殺されると人民共和国の流れを汲む左派勢力は瓦解し、白南雲を始めとする関係者は南朝鮮労働党と共に朝鮮民主主義人民共和国へと合流した。

モスクワ三国外相会議で決定された朝鮮での信託統治実施に対する世論の賛否で南朝鮮は二分され、更にアメリカソ連冷戦の影響から右派と左派の対立が激化することで南朝鮮は混乱状態に陥った。混乱を落ち着かせるための左右合作運動も失敗し、南朝鮮で米軍の支援下での独立を目指す韓国民主党が優勢となった事で朝鮮は分断へと突き進むことになった。最終的に、1948年親米的な李承晩を首班とした大韓民国がアメリカの承認のもとで南朝鮮に建国され、朝鮮人民共和国が目指した統一朝鮮による独立は幻に終わった。
閣僚名簿

主席:
李承晩

副主席:呂運亨

国務総理:許憲

内務部長:金九

外交部長:金奎植

軍事部長:金元鳳

財務部長: ゙晩植

保安部長:崔容達

文教部長:金性洙

司法部長:金炳魯

宣伝部長:李観述

書記長:李康国

備考

この「朝鮮人民共和国」は、実態を超えて、統一朝鮮を願う者にとっては失われた理想を示す言葉として幻の共和国とも呼ばれ、理想化して語られることがある。実際、この時期の朝鮮には路線の違いはあれ、日本による統治から解放され自由で民主的な社会(国家)を作ろうとする熱気に包まれていた。朝鮮の民族運動に対するアメリカ軍とソ連軍赤軍)の無理解も、朝鮮の分断の固定化と長期化に繋がったとされる。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ただし、本人は一度も就任を承諾していない。
^ 朝鮮人民共和国は公式な解散宣言を出していないため、どの時点で消滅したかが不明確である。ただ、アメリカ軍政庁1945年10月10日に行政組織としての朝鮮人民共和国を公式に否定しているため、政府としての朝鮮人民共和国はこの時点で終わったと大韓民国では考えられている[2]
^ 朝鮮人民共和国の政府組織。

出典^??????? ?????????
^?????????(朝鮮建國準備委員會)
^ 吉倫亨「1945年、26日間の独立」p.356

関連項目

朝鮮戦争

朝鮮民主主義人民共和国

大韓民国

南北首脳会談

外部リンク

朝鮮人民共和国
- ウェイバックマシン(2009年11月12日アーカイブ分)

『朝鮮人民共和国』 - コトバンク


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