朝日新聞
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5月 - 外地版「鮮満版」がスタート[19]

8月25日 - 大阪朝日新聞で白虹事件の発端となる記事を掲載[15]


1921年2月1日 - 東京朝日新聞で夕刊の発行を開始[21]

1921年5月1日 - 東京朝日新聞の日曜夕刊に岡本一平漫画欄を新設[15]

1925年4月 - 外地版「朝鮮朝日」がスタート[19]

1928年7月 - 「朝鮮朝日」を「南鮮版」と「西北版」に分割[19]

1933年11月 - 外地版「満洲版」「台湾版」がスタート[19]

1935年

2月11日 - 九州支社(後の西部本社)で発行開始。

11月25日 - 名古屋本社で発行開始[15]


1939年7月 - 第一回聖戦美術展を陸軍美術協会とともに主催[22]

1940年9月1日 - 大阪朝日新聞と東京朝日新聞の題号を『朝日新聞』に統一[15]

1943年1月1日 - 中野正剛の寄稿「戦時宰相論」掲載により発禁[15]

1944年3月6日 - 夕刊の発行休止[20]

1945年

8月23日 - 社説「自らを罪するの弁」で戦意高揚など自社の戦争責任を告白。

9月18日 - 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が48時間の発行停止を命じる[23]。朝日新聞の記事と鳩山一郎の寄稿論文が最高司令官覚書の第一と第三に違反[24]

11月7日 - 声明「国民と共に立たん」と、社説「新聞の新なる使命」を掲載[15]


1946年11月21日 - 現代仮名遣いを採用[15]

1947年6月8日 - 新聞小説が復活し、石坂洋次郎の『青い山脈』が連載開始[15][注釈 3]。同年10月4日に完結。

1949年11月30日 - 『夕刊朝日新聞』として夕刊が復活し、長谷川町子漫画サザエさん』が連載開始[15][20][注釈 4]

1950年9月27日 - 伊藤律会見報道事件[25]

1951年

2月1日 - 根本進の漫画『クリちゃん』が夕刊朝日新聞で連載開始[15][注釈 5]

10月1日 - 朝夕刊のセット発行が再開[15]。夕刊朝日新聞は朝日新聞本紙の夕刊に統合。

10月2日 - 「ひととき」欄を新設[15]


1957年10月1日 - 「親さがし運動」の記事で第1回日本新聞協会賞を受賞[15]

1959年6月1日 - 北海道支社で発行開始[26]

1960年6月17日 - 安保闘争をめぐり、朝日新聞を含む在京7紙[注釈 6]で共同宣言「暴力を排し議会主義を守れ」を朝刊に掲載[15]

1965年

1月1日 - 日本の新聞で初めて発行部数500万部突破[15]

1月20日 - 大阪本社版の紙齢が3万号を達成。

3月31日 - 『クリちゃん』が連載終了。

4月1日 - サトウサンペイの漫画『フジ三太郎』が夕刊で連載開始[15][注釈 7]


1968年3月 - 日中記者交換協定に同意。

1974年2月21日 - 『サザエさん』が作者・長谷川町子の長期病気療養に伴い連載終了。

1976年2月5日 - ロッキード事件を日本の新聞として第一報[15]

1979年1月4日 - 園山俊二の漫画『ペエスケ』が夕刊で連載開始[27]
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