朝日新聞
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また、漢字文化圏の人名については、漢字表記と現地語読みの併記を行っている[注釈 30]

教職員卒業式入学式での国歌君が代」斉唱・起立義務は、個人の思想・信条に反して「強制」されているものであると批判している[123]。ただし、国歌斉唱そのものに反対しているわけではない[124]

科学[125]、文化欄[注釈 31]や読書欄[注釈 32]などで紙面の充実を図っている。

3つの重点報道テーマとして「環境」「教育」「医療」を挙げている[126][127]。大学入試問題における記事採用数も他社と比較して多く、自社サイトでは「受験に強い」と称している[128]

東京大学と連携してシンポジウム世論調査などを行っており、度々紙面に調査内容が反映されている[129][130]

サッカー日本代表のスポンサーであり、試合の翌日にはかなりの分量の紙面を割くことがある[131]。また、2002 FIFAワールドカップの日韓共同開催を提案する社説(執筆者は若宮啓文)を初めて掲載した新聞である[132]

特定秘密の保護に関する法律の成立に対し、一貫して反対の姿勢である。

注目を集めた報道・スクープ

1912年7月30日、
大正改元をスクープし、号外速報を行った[133]

1934年4月29日、阿武山古墳発見のスクープ[134][135]

1945年9月12日、前日に自殺を図ったが未遂に終わった東條英機東條英機自殺未遂事件)について、現場に居合わせた朝日新聞記者が聞き取った言葉を「東條大将の遺言」として掲載した[136]

1948年8月7日、埼玉県本庄町にて、織物業者と警察検察幹部との癒着を指摘する記事を書いた朝日新聞記者が暴力団とつながりのある町議から暴行・脅迫を受けるという事件が発生(本庄事件)。これを発端として、朝日新聞紙面と地域住民が一体となった暴力団追放キャンペーンが起こった。

1954年、第三頁の総合解説面が評価され、第2回菊池寛賞を受賞した[137]

1956年2月25日より、朝日新聞社全国社会福祉協議会が主体となって、行方知れずの肉親を探し出す「親さがし運動」が始まった。このキャンペーン報道は、翌1957年に創設されたばかりの日本新聞協会賞の第1号受賞となった[138]

1958年2月28日より、22日間にわたって連載「神風タクシー」を掲載した[139]。当時の社会問題となっていた無謀走行を繰り返すタクシー運転手を取り上げ、問題の本質は、長時間労働と過酷なノルマ強要にあるとし、タクシー会社に待遇改善を訴えるキャンペーンを張った。これを受け、日本労働組合総評議会などは神風タクシー撲滅運動を展開した。その結果、神風タクシーは厳しく摘発され、姿を消した[140]。この報道により、1958年度日本新聞協会賞を受賞した[138]

1959年7月14日、熊本大学医学部の水俣奇病総合研究班が水俣病の原因は有機水銀中毒であることを突き止めたと報道した[141]

1960年、紙面に「世界の鼓動」欄を創設した。これにより、1960年度日本新聞協会賞を受賞した[138]

1962年、朝日新聞東京本社論説委員(当時)茂木政の世界移動特派員としての業績につき、1962年度日本新聞協会賞を受賞した[138]

1962年5月17日、大日本製薬サリドマイド製剤の自主的な出荷中止を厚生省に申入れたことをスクープした[142]。そして翌日5月18日、西ドイツの奇形児急増はサリドマイドの副作用(催奇形性)による疑いがあることを報じた[143]ものの、日本国内でのサリドマイド児発生の事実を報道することはなかった[144]
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