多くの報道機関では報道用航空機の運用は朝日航洋などの航空事業者に委託しているが、朝日新聞社では美土路昌一(後の全日本空輸社長)や中野勝義(後の全日本空輸副社長)などにより、1926年に自前の航空部を発足させており[51][52][53]、現在でもヘリコプター4機(MD902やAW109 SPなど)とビジネスジェット1機(セスナ サイテーション)を羽田空港、伊丹空港、福岡空港に待機させている。なお、パイロット自社の養成は行っておらず、有資格者を採用している[54]。
全国高等学校野球選手権大会開幕試合の始球式でボールを投下するのも自社のヘリコプターである[55][56]。
事業は報道のみで旅客や貨物の輸送は行わないが[注 13]、朝日カルチャーセンターの企画などで格納庫の見学会を開いている[56][57]。
前述の美土路や中野を始めとした航空部に在籍していた元社員らが中心となり、戦後に民間航空会社の日本ヘリコプター輸送を設立。後に全日本空輸(現在のANAホールディングス)に発展した[56][58]。 記事の捏造・誤報については「朝日新聞#問題・疑義が持たれた報道」を参照。
不祥事
1941年(昭和16年)10月14日にゾルゲ事件の首謀者の一人として逮捕された記者の尾崎秀実は、絞首刑に処されている。ソ連のスパイとして働いた功績により、ソ連政府から勲章と表彰状を受けたとされる。
1971年(昭和46年)8月21日、陸上自衛隊朝霞駐屯地に侵入した大学生2人が警衛任務中の歩哨を殺害した事件。朝日ジャーナル記者川本三郎は、犯人グループが侵入の際に使用した自衛官の制服や歩哨から奪取した「警衛」腕章を受け取った。制服や腕章は後に川本の同僚記者の妻に焼却させた(朝霞自衛官殺害事件)。
1980年(昭和55年)5月11日午後10時45分頃、酒に酔った朝日新聞記者が富坂警察署の署長公舎に侵入、就寝中の同署長を足蹴りした上、馬乗りになって暴行、当該記者は逮捕された[59][60][61][62][63][64]。
1981年(昭和56年)2月16日、ホテルニューオータニで開かれた大手建設会社役員の懇親会「経友会」の会場に鹿島建設副社長が入ったところ、見知らぬ若い男が座っていた。副社長が「どちらの人か」と尋ねたところ、男は「朝日の記者です」と答えた。副社長が「どこの部か」と質すと、「社会部で、飛鳥建設の会長に会いたい」と答えた。副社長が男に名刺を求めると、男は「車の中にあるので、とってくる」と会場を出たが、その後戻ってこなかった。不審に思った関係者が会場を調べたところ、テーブルの下から盗聴器が見つかった。当該記者は退社処分となった[65][66][67][68][69][70]。