朝妻一郎
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フィル・スペクターと彼が作り上げた「ウォール・オブ・サウンド」に造詣が深く(1970年頃に弟子入りを志願、OKが出ていたが諸事情により実現せず)、自らプロデュースした楽曲がコンピレーション・アルバム音壁 JAPAN』(ソニー・ミュージックダイレクト)に2曲(「二人は片想い」(ポニー・テール)、「わすれたいのに」(モコ・ビーバー・オリーブ ))収録されているほか、2008年に出版された彼の伝記『フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂新装版』(白夜書房)では監修を担当した大瀧との対談が収録されている。

1985年、PMPはフジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)の子会社・フジ音楽出版と合併、フジパシフィック音楽出版と改称されるとともに社長に就任[1]。その後もおニャン子クラブWink等に関わる。2005年より同社会長[1]

1985年には、当時フジサンケイグループ議長だった鹿内春雄ビートルズの著作権を管理していた音楽出版社・ATVミュージックの買収を進言。資金面がネックで断念したものの(最終的にはマイケル・ジャクソンが4750万ドルで買収)、1988年にはフジテレビと共同出資でアメリカ合衆国にWindswept Pacific Musicを設立。スパイス・ガールズなどを抱え、全米でトップ10、インディーズとしては最大の音楽出版社に育て上げた。

1999年には、Windswept設立時に行った6000万ドルほどの借り入れが銀行から不良債権として返済を迫られ、その大半をEMIに約2億ドルで売却した[3]が、売却した残りの楽曲を元にWindswept Holdings LLCを設立、ビヨンセなど人気アーティストを輩出し、2003年には伊藤忠商事と共同でT/Q Music, Inc.を買収、再び全米インディーズ系最大の音楽出版社となった(2007年売却)。

また、2004年8月には、みずほコーポレート銀行みずほ信託銀行と共同でフジパシフィックが保有する約400曲の音楽著作権収入を担保とした「FGMファンド」を設立。日本で音楽著作権が資産として評価される先駆的役割を果たした。同年11月には、フジテレビとともに民法上の任意組合「フジ・ミュージックパートナーズ」を設立、シンコー・ミュージック・エンタテイメントから洋楽出版事業(SBKカタログ)を譲受するとともに、シンコーの子会社であるシンコー・ミュージック・パブリッシャーズを買収。

これらの功績により、2007年、ビルボード誌が選ぶ「MIDEM(国際音楽産業見本市) Master」10人の中に選ばれた。2021年4月には同誌が選ぶBillboard international power playersに選出される[4][5]

2019年、文化庁長官表彰[6]。2020年、旭日小綬章受章[7]
著書

『ビートルズその後』(
木崎義二秋山邦晴共著、福田一郎中村とうよう監修、主婦と生活社、1971年)

『ヒットこそすべて:オール・アバウト・ミュージック・ビジネス』(白夜書房、2008年9月、ISBN 9784861914607

『高鳴る心の歌 ヒット曲の伴走者として』(アルテスパブリッシング、2022年2月、ISBN 978-4865592511

関連項目

東京都出身の人物一覧

鹿内信隆 - ニッポン放送創設者・社長。

日枝久 - 息子・朝妻一の入社時のフジテレビ社長。

朝妻一 - 朝妻の子息でフジテレビプロデューサー。

亀渕昭信 - 朝妻と同時期に高崎の元でアシスタントを務めたのち、ニッポン放送入りした。

石田達郎 - PMP創設者、初代社長。

羽佐間重彰 - PMP設立当時ニッポン放送編成部長で朝妻が考案した「パシフィック」を社名に採用。


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