中学校まで硬式野球ボーイズリーグに所属。九州学院高校に入学し野球部に所属。左投手として主軸選手として期待される。当時の野球部監督と意見が合わず退部退学。その後、長崎県の海星高校に再度1年生として入学。1年生だった1989年当時、甲子園出場経験がある(同名校対決として話題になった)。左投手にもかかわらず、当時147キロのストレートを投げ、新聞に取り上げられるなど期待されていたが、甲子園出場後に監督と喧嘩し退部している。現在も野球は続けており、草野球チームTEAM神様に所属していた。
放送作家をしていたが本人のブログによれば2018年時点で放送作家をやめて数年との事である[1]。
家族・親戚
父は学生時代に亡くしている。
母は水泳のオリンピック候補になる程の選手だった。現在も熊本県内にある室内プールの管理者を務める傍ら、子供達に水泳の指導を行なっている。2008年、シニア部門マスターズ世界水泳選手権の平泳ぎで6位に入賞した[2]。
3人兄弟の末男。長男は熊本で中学校教師をしている。次男はお笑い芸人の有田哲平(くりぃむしちゅー)。
伯父に政治学者の矢野暢(日本初のノーベル賞の選考委員・スウェーデン王立アカデミー会員を務めた人物)がいる。
いとこに小説家の鵜波美布