有田哲平
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現役で明治大学法学部二部に合格していたが、上田に「一緒に早稲田に入ろう」と誘われ熊本壺溪塾学園で浪人する。一浪を経て、上田は早稲田大学に合格するも、有田は不合格。有田は上田がまた浪人してくれると思っていたそうだが、「お前は立教がいい」と言い包められ、結局立教大学に入学した。しかし、有田も上田と同様に大学での生活に馴染むことが出来ず、友人も殆ど作れなかったことから、しばしば一人ぼっちでキャンパス内のベンチに座り、煙草を吸いながら時間を潰していたといい、最終的に中退に至ったのも、この事に起因した部分もあったと語っている。

なお、コント山口君と竹田君によると、有田は大学中退に関しては悩んでいたところで父親が死去し、学生生活を続けることが困難になったことでふんぎりがついたとのことである[16]
家族・親類

3人兄弟の次男。弟は元放送作家有田真平[17]、兄は地元で教師をしている。

母の迪子は水泳オリンピックの代表候補になる程の選手だった。現在も熊本県内にある室内プールで管理者の傍ら、子供達に水泳の指導を行なっている[18]。その母は、2008年にマスターズ世界水泳選手権の平泳ぎ・シニア部門で6位に入賞した[19][20]

父は広告代理店を経営していた。有田によると有田の父は厳格かつワンマン気質で有田を含めて兄弟全員その怖い父親が苦手だったらしく、一年を通して会話らしい会話はなかった[21]。しかし、有田の大学入学後に会社が倒産、授業料を滞納する事態となった。それに関する父親からの報告と、有田からの「大学を中退してお笑いをやりたい」旨の報告とが偶然にも重なり、有田は勘当を覚悟したが、父親に「学費を納めなくていいなんてお前は孝行息子だ。それにやりたい事を見つけるなんて素晴らしい!」と絶賛された。後に知るが、その時点で会社が傾いていたらしく[22]、有田が物心付いた頃から長らく住んでいた実家も売られていた。父親の事業破綻後に両親は離婚し、程なくして父親が死去。祖父や祖母もそれと前後して立て続けに亡くなった[23]

有田は後に当時を振り返り「大学の頃、夏休みに熊本の実家に戻ったら表札が『長谷川』に変わっていた。人づてに引っ越し先を調べて訪ねてみると、有田家は安&ボロアパートに様変わりしていた」と述べた[24]。有田がやっとそのアパートを探し当てると父親は「言い訳じゃないけどな、ここ(安アパート)に住み始めたらこっちの方が住みやすいなあと思ってな」と言った[24]。その後、有田がお笑いの道を志すことを承諾した父親が有田に50万円をくれたが、どうやらそのお金はサラ金で借金して作ったお金だったらしく、それを最後に父親は亡くなった[23]

有田が『王様のブランチ』の中継コーナーのレギュラーだった頃、ゲストレポーターのX-GUNが「有田の売られてしまった実家に潜入」という趣旨の企画で有田の元実家を訪れたことがある。昔有田の部屋だった所は物置となっていたが、有田が壁に落書きした「飛龍」の文字は残っていた事が判明したので有田はレポートをしてくれたX-GUNに感謝した[25]

いとこに小説家の鵜波美布(代表作に『武運』等)がいる。

伯父(有田の母親の兄)は政治学者で、日本初のノーベル賞選考委員やスウェーデン王立アカデミーの会員を務めた矢野暢。「幼少期より、よく両親から『親戚にいる大学教授の伯父さんを見習え』と言われていたが、その人がセクハラで訴えられた」というネタをよく使う(セクハラの詳細は矢野事件を参照)。
身体的特徴

しゃくれ顎が特徴。

年々太ってきており、デビュー当時と比べて15kg程太ったこともあった。ファンや上田から、とろサーモンの久保田かずのぶに似てきていると指摘されており、視聴者が久保田を見て有田と間違った事もあるとのこと。有田と久保田はあまりにも周りから似ていると言われるため、2013年9月2日のグリグリくりぃむで「どっちが有田でどっちが久保田」という企画が行われた[注 1][26]。一方で、関東の先輩芸人ヒロミが経営する加圧トレーニングジムに通っていた事がある。

高校時代から芸人デビュー前まで寄生虫持ちだったことから、現在と異なりスリムな体型だった。高校時代にラグビー部を引退した後、上田共々部活をやっていた頃と同様の暴飲暴食を辞められなかったことから、上田が急激に太りだしたのとは対照的に、全く太ることは無かった。一方で、その当時は年に4回ほど尻の猛烈な痒みに苦しめられてもいた。

頭髪が薄く、自身は祖父からの隔世遺伝であると述べている[27]育毛剤を使用しているが、その育毛剤の力を強くする為に「モミダッシュ」なる頭皮洗浄用の機器を使用している。その効果もあってか、近年は薄毛の進行が止まっているようにも見える。

2008年5月1日放送の『アリケン』の企画で、左頬のシミを消すプチ整形を行った。
趣味・嗜好
プロレス

大のプロレスファンで、自身の芸風にも活かされている[28]メジャー・インディー団体問わず、選手やマット界の動向にも非常に詳しい。毎週欠かさず週刊プロレスを愛読(第一号から全て)している他、多くのプロレスグッズも所有している。『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出演した際には、同誌をタモリへの土産として持参した事がある。

選手個人としては長州力の大ファンであり、自身の著書で有田は「大げさでも何でもなく(長州は)僕の師匠です。何かあると長州力の語録やインタビューや試合を見て自分自身にカツを入れてきました」と記している[29](そして長年の思いが叶い、週刊プレイボーイの2011年1/17?1/24号にて有田と長州力の対談が実現した)。

ハッスル・エイド2006』では、自前の「高田総統」のコスプレをしてオープニングに登場。翌2007年12月31日の『大晦日!ハッスル祭り2007』でも、高田将軍(戦国時代バージョン)が現れた後に、有田総統としてリングに登場した。

2010年7月に「プロレスラー 伝説のビッグマウス!」というプロレス本を出した。なおその本には同じくプロレスファンのケンドーコバヤシとの対談も収録されている。有田はプロレスから場を活性化させるための仕掛けや反骨心を学んだと言い、プロレスとは魅力的なジャンルでレスラーの言葉には人に影響を与えて動かす力があると述べている[30]

2016年11月に有田と週刊プロレスとというプロレストーク番組を始めた。有田曰く「夢のよう」[31]。なお、この番組は有田が、『週プロ』を題材に30分しゃべるトーク番組で、題材となる週刊プロレス該当号は有田も事前に知らされずに渡される。よって、番組プロデューサーの上田暁子はインタビュー記事で「(有田さんは)封筒から週刊プロレスを出したときに、どの号が出るかご存知ないので、たいてい5秒くらい「あ?」とおっしゃるのですが、その5秒の間で記憶を呼び起こしながら、どこから話し始めてどこを最後に持っていくかを頭の中で構成しておられるのだと思います。この番組は大体1話30分の配信ですが、実は収録時間もほぼ同じくらいなんです。つまり、あの「あ?」という間に、30分のお話を組み立てて語っているんですよね。収録でそれを目の当たりにして、本当にいつも鳥肌が立ちます。」と述べている[32]

ラリー遠田は有田の追求する笑いは受け手に裏に潜む意味や物語を感じさせて、多くを説明しない点にあり、これを「プロレス的」だと指摘している[28]
アニメ・ゲーム

TVアニメ新世紀エヴァンゲリオン』の大ファンで、『アメトーーク!』に「エヴァンゲリオン芸人」として出演した事もある(2008年4月24日放送分)。

いわゆるヘビーゲーマー。『オールナイトニッポン』等で、ゲームソフト『実況パワフルプロ野球9』(コナミ)の「サクセスモード」について熱く語っていた事があり、『パワプロクンポケット7』には有田をモデルにした「有田修吾」というキャラクターが登場した。


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