この形が取られたものには、1999年8月30日から2000年2月まで東ティモールで国際連合東ティモール暫定行政機構が成立するまで平和維持に当たった東ティモール国際軍[5]、2003年に核拡散を防止する目的で始まった拡散に対する安全保障構想などが挙げられる。 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降、アメリカはアルカーイダをはじめとするテロとの戦いを行なうと宣言した。国際連合加盟国189カ国はテロ非難決議に同調し[6]、2003年2月8日当時の国防長官ドナルド・ラムズフェルドは「人類史上最大の連合」と評したが[7]、アメリカのアフガニスタン紛争では国際連合安全保障理事会決議1368による集団的自衛権をNATOは主張したものの、国連の事前の決議で承認されたものではないため、参加国軍は国連軍ではないことはもちろん、アメリカと特に同盟関係にはない国も参加していること、本来の同盟関係の国が参加していないことなど、多くの特徴を持ち合わせていたため、戦争に参加した国々とその連合的軍隊を呼ぶ適当な言葉はなかった。特にこの語が使われるようになったのはイラク戦争後である。 しかし、この有志連合の性格はすでに湾岸戦争によって現れており、この戦争ではアメリカを中心に、エジプト、シリア、サウジアラビアなどのアラブ諸国を含めて30ほどの国が多国籍軍を結成してイラクに攻め入った。ただし、これは武力行使容認決議に基づいた。 日本はこの戦争で約3年間で延べ1万人以上をイラクへ派遣した。派遣目的は武力行使を目的とせず、あくまで現地の復興支援や治安維持任務、多国籍軍への後方支援であった。当時の日本政府も、派遣場所を現に戦闘が行われていない地域に限定していた。しかし、実際には戦争が発生している国で安全な地域などなく、自衛隊は派遣された当初から武装勢力に狙われていたことがわかった。「自衛隊イラク派遣」も参照 2014年8月8日、アメリカ軍を中心とした複数の連合軍が、イラクで勢力を拡大しつつあった過激派組織ISILに対して空爆を開始した。参加国の形態は、ほぼ従来の有志連合だが、日本における報道では「有志国連合」として報道された[8]。
イラク戦争における有志連合
過激派組織ISILに対する攻撃詳細は「生来の決意作戦」を参照
脚注[脚注の使い方]^ 安全保障論のススメ
^ “有志連合|きょうのことばセレクション 詳細|経済ナレッジバンク|日経をヨクヨムためのナビサイト - nikkei4946.com”. www.nikkei4946.com. 2022年3月30日閲覧。
^ “急浮上「有志連合」って何?”. FNNプライムオンライン. 2022年3月30日閲覧。
^ Ibiblio.org (originally official White House release), ⇒Interview with the President by Sam Donaldson ABC, June 5, 1994.
^ ⇒東ティモール問題と国連 名古屋商科大学経済学部教授藤井京子論文
^ ⇒国連安全保障理事会決議1373号第6項に基づくテロ対策委員会への報告 Embassy of the United States Tokyo, Japan - 米国政府
^ 平成15年版防衛白書第1章国際軍事情勢第1節国際社会の課題
^ “第1項 国際テロ情勢”. www.npa.go.jp. 2022年3月30日閲覧。
外部リンク
⇒国際安全保障とコアリッション(1) 防衛研究所主任研究官高橋丈雄・米田富太郎中央学院大学社会システム研究所客員教授共著論文
⇒国際安全保障とコアリッション(2)
不朽の自由作戦
アフガンにおける不朽の自由作戦
フィリピンにおける不朽の自由作戦
アフリカの角における不朽の自由作戦
トランス・サハラにおける不朽の自由作戦
その他
イラク戦争
ワジリスタン紛争
タイ深南部紛争
レバノン侵攻
ガザ紛争 (2008年-2009年)
ウサーマ・ビン・ラーディンの殺害
生来の決意作戦
ロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆
ロシア軍爆撃機撃墜事件
アイマン・ザワーヒリーの殺害
テロ攻撃
2001年 - 2004年
アメリカ同時多発テロ事件
バリ島爆弾テロ事件 (1)
スペイン列車爆破事件
イラク日本人人質事件
イラク韓国人会社員殺害事件
イラク日本人青年殺害事件
2005年 - 2008年
ロンドン同時爆破事件
バリ島爆弾テロ事件 (2)
2005年アンマン自爆テロ
ムンバイ列車爆破事件
パキスタン・モスク立てこもり事件
2007年ターリバーン韓国人拉致事件
アフガニスタン日本人拉致事件