一方、地球の自転は摂動や潮汐などの影響によって段々と減速している事も知られている[15]。そして、月の公転期間との差異が徐々に縮まり、約50億年後には一致して地球と月は常に同じ面を向け合うようになるとの説もある[16]。こうなると1朔望月は1日となり、地球上のほぼ半分からしか月は見えなくなる。 暦では、月は日の整数倍となる。暦によって、また同じ暦でも月により長さは異なる。太陰暦と太陰太陽暦では、ある月相(原則として朔)のころの日初を、月の始まりとする。そのため、1か月は平均すれば1朔望月に等しい。朔望月の日数には端数があるため、個々の月には30日の月(大の月)と29日の月(小の月)がある[1]。一年は原則として12か月だが、太陰太陽暦では約2.713年に一度の閏年に閏月が加わり13か月になる。太陽暦は朔望に対応した単位を持たない。そのため月を置く必然性はないが、朔望とは無関係な「月」を持っている。 英語やフランス語などの各月の呼称も、古代ローマで制定されたローマ暦の名称を引き継いでいる。ローマ建国の初代王ロームルスによって定められた最初の暦は紀元前735年に始まったロームルス暦であり、一年を人間の妊娠期間から決められたと言われる304日とし、それを10か月に分けて各月を決めた。最初の4か月にギリシア神話やローマ神話の神々の名を当て、続けて「5番目の月」「6番目の月」(以下同)という番号を振った[17]。 しかしこの暦では季節とのずれが激しく[注 1]、特に農業従事者からは不満が多かった。そのため2代目の王ヌマ・ポンピリウスは2か月を追加し、太陰暦の354日を基準としながら偶数を嫌う当時の迷信からこれに1日を加えた355日を一年とするヌマ暦 ガイウス・ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)はローマ内戦で逃れたグナエウス・ポンペイウスを追ってエジプトに遠征し、クレオパトラ7世と協調して勝利を収めた。この際、彼はソシゲネスから暦を学びローマに持ち帰った。これを基礎に紀元前47年に制定された、一年を太陽暦365日(閏年は366日)とし、新年を冬至に近いJanuarius の初日からとした暦がユリウス暦である。1か月は30日または31日が交互になるよう定め、超過分はヌマ暦で最終月だったFebruarius(2月)を29日(閏年は30日)と少なくして調整した。この際、元老院はシーザーを称え「第5の月」(Quintilis) の呼称を「ユリウス」 (Julius)へ改訂する決議をした[5]。 その後、ローマ帝国初代皇帝となったアウグストゥスは支配下の元老院を操作して、誕生月であった[9]「第6の月」 (Sextilis) を自らの名 (Augustus) に改称させた。この際、Julius より日数が少ないことを嫌って Februarius から1日を移して31日とし、以後の各月を30日と31日が交互に来るよう変更を施した。このような流れから、7月と8月に「大の月」が続くこと、「8」の接頭辞OCTを持つ月が10月という様に意味が2か月ずれた4つの月(9・10・11・12月)、そして2月の日数が少なく閏の調整に使われるという現在に通じるそれぞれの「月」が定まった[4][5]。 月ロームルス暦
暦月
ローマ暦に由来する名称と日数
由来(日数)ヌマ暦
由来(日数)ユリウス暦
(日数)アウグストゥス
改訂 (日数)英語フランス語スペイン語イタリア語ドイツ語