月光仮面
[Wikipedia|▼Menu]
また「子供に好かれそうな顔であったから」ともしている[7][11]。大部屋俳優を主演に添えたのは出演料を安く抑えるためでもあった[16]

撮影スタッフも予算不足を考慮し、西村の映画会社時代の人脈から、「テレビ映画」制作の意欲に燃える無名の若者たちが集められた。その他のスタッフも社内で持ち回りとなり、フィルム編集は西村が行なった。月光仮面や悪人の仮面・覆面姿は美術スタッフの小林晋によるもので、いつでも代役を起用できるようにとの苦肉の策でもあった。実際に、どくろ仮面を宣弘社の社員が演じたこともある[7]

こうしてスタッフ陣が整い、撮影に入ったのは放送3週間前を切った、1月31日のことだった。プロデューサーも監督も主演も、すべて初の経験者という陣容であり、また「宣弘社プロ」自体が初の番組制作だった。極端な予算と人員不足、手作りの番組制作は、今日では考えられないような様々な逸話を残している。

制作費については、KRTから2万円、武田薬品から3万円の援助を受け15万円とし、その後30分枠になった際に70万円に引き上げられた[7]
製作エピソード

月光仮面の吹き替えを演じた野木小四郎は、たまたまロケを見物していて「下手だなあ」とつぶやいたところを船床監督に聞かれたのがきっかけで、演技に関しては全くの素人ながら、翌日から月光仮面の衣装をつけスタントをおこなうようになった[17]。野木はのちにプロデューサーに転身した。

撮影スタジオも低予算で確保できないため、小林の自宅をスタジオ代わりにし、応接間が「祝探偵事務所」、車庫がどくろ仮面のアジトなどに使われ、撮影中は小林夫人らは邪魔にならないよう旅館に泊まっていた。後に宣弘社の三代目社長となる小林の長男・小林隆吉は、急遽撮影することになったシーンに新聞配達員役で出演している[18]

それ以外は白金の小林邸近辺で、オールロケで撮影された。東京タワーが映りこんでいることも多く、第1部では建設途中であったが、第4部では完成している[19][11]。大瀬の証言によれば警視庁の屋上で撮影を行ったこともあるという[20]

予算の都合で機材もろくに揃わなかったため、当初はフィルモというゼンマイ式の小型16mmカメラが使われた[注釈 2]。フィルモはフィルム1巻で28秒しか撮影できないものだったが、これがかえってテンポの速いカット割りを生み、ドラマ展開にスピーディな印象を与える効果を挙げた。30分番組になってからも制作費は約70万円と低予算は変わらず、移動撮影用のレールが用意できなかった。カメラはズーム可能な16mmが導入されたため、移動撮影に代えてズーム撮影を多用している。一方で、当時は35mmフィルムが主流であったためスタッフはコマの小さい16mmを扱い慣れておらず、ピストルの発射音が合わないなどのこともあった[21]

自動式拳銃プロップガンは電気式で一発ずつしか撃てなかったため、連射するシーンでは隠し持っていた別の銃に持ち替えて撮影していた[22]。マシンガンのプロップガンは炎と煙が出るだけのもので、『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』ではガスバーナーを改造したものではないかと推測している[23]

バイクはホンダから提供された[21]。撮影用のほか50ccのカブも借用し、現場の移動用に用いられた[21]

野外場面でのバックグラウンドには頻繁に鳥の鳴き声が使われており、それもほぼ全てが同じものである。主に三光鳥の鳴き声で、その間から時鳥がさえずり聞こえるというものである。この効果音は、これらの鳥類の生息環境でない場所でも平気で使われている。また夜のシーンになるたびに、夜間を強調するため毎回同じ犬の遠吠えが使われている。効果音は東宝から無断借用されたものもあるという[21]

武田薬品工業の1社提供による『タケダアワー』第2回作品であり、作品中に「武田薬品の栄養たっぷりのプラッシーですね」などといった台詞や武田薬品の広告が度々登場する[24]
反響

川内作詞、小川寛興作曲の主題歌『月光仮面は誰でしょう』(歌は近藤よし子、キング子鳩会)と共に子どもたちの圧倒的な支持を受け、平均視聴率は40%、最高視聴率は67.8%(東京地区)を記録し、放送期間は当初の3ヶ月から大幅に延長された[16]。放送時間には銭湯から子どもの姿が消えたという[7]。『月光仮面は誰でしょう』のレコードは当時の子ども向け楽曲としては異例の10万枚以上[25]を売り上げる大ヒットとなった。

宣弘社社長の小林利雄は、当初は制作を間に合わせるのに手一杯で反響を気にしていなかったが、次第に手応えを実感するようになったという[7]。小林は東芝に子供たちが集まりそうな場所へ街頭テレビの設置を依頼し、これも人気を博した[7]。その後、視聴者の子供たちから「(10分では)すぐに終わってしまう」との要望が殺到したことをうけ、TBSは番組枠を30分に拡大した[7]

タカトクのお面などの関連商品もヒットした。それらは全て無許諾商品で、当時はマーチャンダイジングという発想もなかったため、宣弘社社長の小林利雄は「ああいうのは番組の宣伝につながるわけですから、『どうぞ、どんどんやって下さい!』と応えて、お金なんかもらわなかったですよ」と述べている[7]

しかし、識者と言われる層からは評判が悪く、俗悪視され、月光仮面の真似をして子どもが高所から飛び降りて怪我または死亡する事故が続発し[26]、新聞や週刊誌から「有害番組」だと批判を受け[8]、1959年3月には『週刊新潮』を川内が提訴する騒ぎも起きた。この結果、1959年7月5日をもって打ち切りになった[注釈 3]。最終回の視聴率は42.2%(東京地区)だった。
キャラクターとしての月光仮面

月光仮面は、悪人によって危機に陥った人々の前に颯爽と現れる正義の味方である。白いターバン覆面の上に黒いサングラスと白マフラー、白の全身タイツに黒いベルトを着け、裏地に色のついた白マントをまとい、手袋とブーツを着けている。祝探偵と同じ声色をしている。正体ともども、衣装をまとった扮装者なのか、超科学や神秘現象による変身者なのかも謎である。能力的にも生身の人間なのか超人なのか微妙なところがある。

月光仮面の実際の衣装の色は白ではなく薄黄色だった。マントは表が黄色、裏地は黒だった[28]。カラーで掲載される際や実写の着ぐるみやフィギュアではその色で塗色されている。

悪事のあるところへオートバイ[注釈 4]に乗って駆け付け、「月光仮面の歌」とともに颯爽と現れ、悪を蹴散らし正しい人々を救い出す。月光仮面は自らの正義の心と身ひとつによって悪を懲らしめる。常人離れしたジャンプ力(片足跳びである)を持っており、瞬間的に他の場所に現れることが出来る。

「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」という理念を持ち[注釈 5]、悪人といえども懲らしめるだけで過剰に傷つけることはなく、人命は決して奪わない。武器として2丁の自動拳銃を持っているが、もっぱら威嚇と牽制に使い、発砲しても悪人の武器を撃ち落とすためにしか使わない。

ターバンの前面には三日月のシンボルを飾っているが、これは月の満ち欠けを人の心になぞらえ、「今は欠けて(不完全)いても、やがて満ちる(完全体)ことを願う」という理想、「月光は善人のみでなく、悪人をも遍く照らす」との意味が込められている。裏向きの「27日の月」が描かれている図版があるが、誤りである。

この極めて東洋的な正義観は、原作者の川内の実家が日蓮宗の寺だったことが影響しているともいわれている。月光仮面の発想は薬師如来の脇に侍する月光菩薩(がっこうぼさつ)から得られたもので、「正義の味方」という言葉自体も、「正義」そのものの神仏への脇役的位置づけを示すものであり[29]、「決して『正義そのもの』ではない」との意味を込めることに川内がこだわったものだった。川内本人は「正義の助っ人」との表現を好んだという。なお「正義の味方」という言葉自体を川内の造語だとする説もあるが[29][30]、実際には徳富蘇峰内村鑑三の著作に加えて『黄金バット』など、月光仮面以前から多数の用例が存在する語である(具体的な用例は「正義の味方#用例」を参照)。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:190 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef